「涙を流す昭恵夫人を見つめて…」 櫻井よしこが明かす安倍元総理の知られざる素顔
講演が相次いで取りやめに
あれは亡くなる前年の12月、総理の地元で一緒に食事をしたときだっただろうか。安倍総理が突然言ったのだ。
「私が櫻井さんに会ったのは慰安婦問題の時ですから」
少なからぬ回数お会いしていながら、はじめてお会いしたのはいつなのか。私の記憶ははっきりしない。「慰安婦」や「南京大虐殺」に関する韓国や中国の捏造、その他の歴史問題について私は当時、中川昭一氏とは度々会って議論していた。中川氏を交えた複数の人々との意見交換も少なからず行っていた。けれど、いつ、安倍総理と会ったのかというと定かではない。
後になって『歴史教科書への疑問 若手国会議員による歴史教科書問題の総括』(展転社)を手にして、安倍総理の言いたいことはこれだったんだと納得した。この本をまとめたのは、97年2月27日に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」である。本の中に安倍総理の発言が収録されている。
「民主主義が正しく機能するためには、『言論の自由』が保障されなければならないことは、自由主義国家において常識と言えます」と、総理は切り出し、続けて同年1月29日、私の身に起きた事件について触れた。
神奈川県の三浦商工会議所が、私の講演会を開催する予定だったところ、私の「従軍慰安婦」問題に関する発言を問題視した神奈川人権センターが、講師変更を申し入れた。商工会議所がその圧力に屈して前日に講演をキャンセルした事件である。この動きはその後保守系の法人会にまで広がり、全国で私の講演取りやめが相次いだ。私の発言を批判するのは自由だが、発言自体を封殺しようとするのは言論の自由の侵害だとして、私は抗議した。
「政治家として危機感」
安倍氏が語っている。
「櫻井さんの発言というのは、昨年10月、横浜市教育委員会主催の講演会で『自分が取材した範囲では従軍慰安婦の強制連行を裏付ける事実はなかった』と述べた発言です。(中略)私はこの事件を産経と読売新聞の記事で知りました。以前より、いわゆる『従軍慰安婦問題』が、今年から中学校のすべての教科書に登場する事に問題意識を持っていたのですが、それを強引に推し進めてきた勢力が、ついに言論弾圧を堂々と始めた事に、政治家として危機感を抱きました」
危機感を抱くや、安倍氏は即、行動を起こした。私の事件からひと月後、中川昭一氏を代表とし、前述の「若手議員の会」を設立したのだ。自身が事務局長となって仲間を集めた。衆議院84名、参議院23名、計107名だ。毎週1回、夜9時から勉強会を開いた。政治家は度々夜の会合に呼ばれるが、その会合後の時間帯に設定した。講師に西岡力氏、高橋史朗氏らだけでなく、慰安婦強制連行説を唱えていた中央大学の吉見義明教授(当時)や河野談話を出した河野洋平氏らも招いて話を聞いている。
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