「涙を流す昭恵夫人を見つめて…」 櫻井よしこが明かす安倍元総理の知られざる素顔
未来のための国造り
松介叔父は岸だけでなくその姉2人、その他親類縁者の若者たち、有為の人材を見つけては教育の面倒を見た。35歳の若さで急死した時、蓄えは一銭もなく、叔父の全収入は自分たちの教育費につぎこまれた、と岸は書いている。
叔父の無私の愛と支援を受けた岸は、叔父同様、未来のための国造りを目指した。現在の日本の世界に誇る社会保障制度は岸の原案から生まれたといってよい。
安倍氏の政治の原点も、日本の未来を担う若者たちへの思いだった。戦後70年談話で安倍氏は言った。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と。
2021年12月3日の「言論テレビ」ではこう語っている。
「私たちの若い頃よりもいまの若い皆さんは、人生観においても立身出世みたいなことはあまり考えずに、自分が世の中のために役立つ人生を送りたいと思っている人が多いんです。ですから日本の未来は明るいなと思いました。そういう皆さんにとって、能力を生かすことができる、チャンスのある、そして常に開かれている社会を作っていきたいなと思います」
妻にも母にも優しかった
家庭においても岸信介と安倍晋三は似ていると思う。岸は“巣鴨の人”となった後ずっと、「世間から、なんだかんだと悪口たらたらいわれているおやじ」だったが、「仕事のことは絶対に家庭で話さず、どんなに不愉快なことがあっても、家に帰ればいつも機嫌のいい顔を見せてくれ」た、と長男・信和氏は書いた。
安倍総理も家庭において、妻にも母にも徹底して優しかった。思い出すのは18年2月7日、金美齢さんの旭日小綬章受章のお祝いの会でのことだ。
メインテーブルの上座に金さん、その左手に安倍総理、昭恵夫人、私の席順だった。私の左手には気っ風の良い材木商御夫妻、麗澤大学の廣池理事長御夫妻、さらに菅義偉官房長官(当時)御夫妻が着席した。テーブルのさんざめきはやがて北朝鮮の話題となり、総理が言った。
「きっと、金正恩は夜も眠れないくらい緊張してると思うんだよね」
そのとおりだろう。当時、日本は北朝鮮外交を対話と圧力から、圧力を軸とする路線にシフトしていた。横田早紀江さんたちともよく話し合い、政府と家族が結束して、北朝鮮が協議に応じなければ、基本的に圧力を強めていくと決めていた。国連では日本主導で北朝鮮への制裁も決議。追い詰められている金正恩氏は悩んで当然だ。
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