20年前は「電脳大国」だったのに… 世界各国に追い抜かされて「情報弱者」を置き去りにできない国に(古市憲寿)

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 僕がノルウェーに留学していた2005年から2006年、日本出身だと告げると「電脳大国」から来たかのように扱われた。「日本の携帯電話がすごいと聞いた。テレビも観られるし、ゲームもできるし、写真の画質もいいんでしょ」とギークの青年から言われたことを覚えている。

 その頃、ヨーロッパで一般的な携帯電話には、通話とショートメール機能くらいしかなかったのだ。高性能機種もあったが、学生には手が出せなかった。僕も留学用にノキアの携帯電話を買ったが、あまりの性能の低さにがくぜんとした。

 住んでいた寮のネット回線は遅いし、携帯電話の画質は悪いし、大学に設置してあるパソコンも旧式ばかりだった。北欧にはとにかくいいイメージしかなかったのに、まるで過去にタイムスリップしたような気持ちになった。

 電車の古さにも驚いた。地下鉄に1960年代の車両が使われていて、切符も紙でしか提供されていなかった。すでに日本ではSuicaなどのICカード乗車券が普及していて、僕の留学していたタイミングでは、モバイルSuicaさえ始まっていた。携帯電話で電車に乗ることも買い物をすることもできたのだ。

 あれから20年弱がたった。日本は完全にIT分野での競争に乗り遅れた。2000年代初頭にはブロードバンドと高性能の携帯電話が普及していたのに、そのアドバンテージを生かせなかった。当時のテレビドラマのレベルの高さを考えても、本当はNetfilxが日本で生まれていてもおかしくなかったのだ。この20年の停滞が悔やまれる。

 ではノルウェーはどうなったのか。つい先日も行ってきたのだが、滞在中、現金はおろか財布すら出すことがなかった。まず空港からオスロ市内へ向かう高速列車は、切符を買わなくても、タッチ決済のクレジットカードで改札を通れる(つまりスマホで払える)。

 市内の地下鉄やバスはアプリでチケットが買える。というか、基本アプリでしか買えない。駅から券売機は撤去されてしまった。券売機のない駅、想像できるだろうか。

 一応、ICカード乗車券も残されているが、一部コンビニでしか購入できないなど非常に不便だ。バスやトラムなら運転手から切符を買えるが、割高の運賃を払わされる。

 もし日本で同じことをしようものなら、批判の嵐だろう。「スマホを使えない人はどうしたらいいんですか」「情報弱者を置き去りにするんですね」と炎上する様子が目に浮かぶ。ノルウェーの場合、日本より平均年齢が若い小国だから可能だったのかもしれない。もちろん日本と違い信用乗車方式というのも大きい。

 日本ではマイナンバーカードを巡る議論が喧しい。今の時代、プラスチックのカードを普及させるよりも、完全アプリ化した方がいいとも思うが、日本では難しいだろう。スマホ普及率は96%を超えたが、4%を置き去りにしたくない優しい国なのである。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年7月6日号掲載

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