1軍デビューを果たした浅野翔吾 初打席を見て秋広優人を上回っている点【柴田勲のセブンアイズ】

  • ブックマーク

岡本和が心配

 いまの巨人は「勝ったり負けたり」ではなく、「負けたり勝ったり」である。とにかく打てない。タイムリーが出ない。本塁打はソロが多い。得点能力が上がらない。

 こうなると岡本和真に負担が増す。柴田も毎回毎回、同じことを言う。こう指摘されるかもしれないが、岡本和自身オレが、オレがとなる。重圧がかかる。

 相手チームの投手は岡本和を徹底マークすればいい。くさいところを突いて、厳しく攻める。なんとかしたい。この気持ちが強くなりボール球にも手を出すようになる。挙句、打撃フォームを崩す。

 これが心配だ。

 岡本和には、王(貞治)さんのような心境になれと言いたい。王さんはボール球を振らなかった。各投手はあらゆる方法で対抗してきたが、打席では泰然自若としていた。

 通算22年間の現役生活で868本の本塁打を打った。得点も1967とすごく多かった。なにしろ四球数は2390(故意四球427)である。

 四球もヒットも一緒だ。出塁することで得点チャンスは広がる。いまは適時打があまり出ていないが、いずれ岡本和の脇を固める選手たちも調子を上げてくるだろう。それまでの我慢だ。

3連戦に期待

 巨人の救いは投手陣がよくなってきたことだ。菅野智之が本来の姿を取り戻しつつあるし、戸郷翔征もしっかりしている。

 この二人が軸となって試合を作れるようになった。投手陣全体の7月の防御率は1.75、救援防御率も6月はリーグトップの2.36、7月は1.07と向上している。

 でも、投手陣がよくなれば、今度は打撃陣にエンジンがかからない。投打のバランスが取れない。うまくいかない……。

 巨人、11日から東京ドームに広島を迎えて3連戦、投打がかみ合った、スカっとした勝利を期待したい。(成績は10日現在)

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。