今だから明かせる「闇営業問題」「反社との闘い」の裏側 吉本前会長の大崎洋が語る

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やっぱり大阪は面白い

 さすがに70歳は、いつ死んでもおかしくない年齢ですよね。“ちょっと前まで元気だったのに……”とか、よく聞くじゃないですか。それなりの覚悟をしとかなきゃいけない。そういう思いから本を書いていたら、一区切りついたのも事実です。

 万博の仕事をやってみないかと声を掛けられたのは、去年の12月でした。大阪府の吉村洋文知事から直接オファーがあったのかと聞かれますが、それはなかったです。お誘いがあったのは万博協会さんとか経産省さん。開催まで時間もないし不安もあって、吉本を辞めてから考えようと判断を留保していました。

 そもそも漫才師のマネージャーって、口は達者だけど、資格といえば自動車の普通免許くらいだし、手に職があるわけでもなくつぶしが利かない上に、もし会社辞めてしまったら、ホンマに居場所ないやんけってことにも気付いていました。

 なら、どうすべきか。私が世話になってきた吉本は、主に大阪、関西の方々に支えられて110年やってきた。新喜劇や漫才、それを支える劇場が残っているのは、ホンマに大阪の人たちのおかげ。だったら何か恩返しできることはないだろうかと思ったのです。

 紳助の事件があった時、会社にお叱りの電話がたくさん来たんです。ところが、大阪のおばちゃんの中には、“あのな、シンスケの件は東京ならアウトかもわからへんけど、大阪ではセーフや”って言う人もおって、やっぱり大阪は面白いなと。もちろん世間的にはダメなことではあっても懐の深さというか、さまざまな人たちを受け入れて育ててくれた大阪にお礼をしたい。元気を届けたいと思い万博のお手伝いをすることにしました。

 大阪の商店街などは寂びれているところもあるし、経済の屋台骨である中小企業が随分つぶれて大変な目に遭っている。政治の中心は東京かもしれませんが、やっぱり日本にとっても経済や文化の分野は、東京と関西という二つの軸があった方が強い。一つの国でも、いろいろな顔を持っていた方が面白い。

熱気に包まれた関西

 あの70年万博では、関西のローカルTV局が生中継をしたり特番の枠を作ったりして頑張った。芸人も含めて関西の人々が結集しイベントを成功させて、それに釣られて吉本の名前が全国に知られるきっかけにもなった。きよし師匠からもそう聞きましたし、若い方とか知らへんでしょうけど、「世界の国からこんにちは~」というスローガンの下、大変盛り上がったんです。

 パビリオンの展示物も、動く歩道とか、勝手に泡で洗って熱風で乾かしてくれる人間洗濯機とかね。科学技術も含めて日本が右肩上がりの時代で、関西が熱気に包まれていました。

「若い子たちはソーシャルマインドが強い」

 それが今は何かと下り坂の時代ですよね。少子高齢化も含めて、日本は“社会課題の先進国”になってしまいました。そうした世の中のさまざまな課題を、エンタメの力で解決できるような道筋を提案する催しにしたいと考えているんです。それやったら私も少しくらい頑張れるかなと。

 たとえば、地方でも、手間はかかるけどこだわりをもっておいしい食材を届けようとしている農家や漁師さん、また世界に誇れる素晴らしい技術を持った職人さん、特に伝統工芸の分野でも若い人たちが健気に頑張っています。そういう方々が、万博をきっかけに芸人やアーティストとコラボして世界に知られ、商機が拡がれば本当に素晴らしいことですよね。

 やっぱり今の若い子たちって、僕ら昭和のオヤジ世代と比べたら、いわゆるソーシャルマインドみたいなものが強い。上昇志向よりも世の中をよくしたい。社会のためになることをしたい。こいつは奇麗事を言っているんじゃないかって思ってしまうほど、真剣に考えていますよね。

 一方で、そういう世代の中には自殺したり、引きこもりになってしまう子もいる。万博がひとつのきっかけになって、若い子たちが前を向いて歩ける、未来への構想力を得られるヒントになればと思っています。正直、難しいことはよく分からへんけど、エンタメの力でサポートできればいいなと。

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