今だから明かせる「闇営業問題」「反社との闘い」の裏側 吉本前会長の大崎洋が語る
「お前と同じことを言われた」
万博をやるために吉本を辞めようと思ったわけではなく、退社する決意をした後に、万博の話が来たんですがね。松本くんには「どうして、そんなに急に辞めるんですか。万博の仕事、そこまでしてやりたいんですか」と聞かれました。片や電話で話した浜田くんからは「松本はなんて言ってました」って言われたんで、「お前と同じことを言われた」と話したら笑っていましたよ。
とにかく二人には、俺はもう決めたから。まだ元気やといっても、もうすぐ70歳で一区切りやし、ええねん、ええねんと押し切る形で話をしました。
桂文枝さんや西川きよしさんにもお話しさせてもらって、さんまくんとはメールでやり取りしました。彼は「俺が会長になろうか」と言ってきたので、こちらも「だったら俺にあんたのレギュラー番組の司会を全部やらせてくれ」なんて返して、お互い冗談を言い合いましたね。
紳助問題への発言の真意
あと、紳助とも年に何回かゴルフしているので、その時に話をしました。
紳助とは戦友みたいな関係でしたが、彼が芸能界引退の会見を開いたのは11年の8月。その4カ月後、吉本は大阪市内のホテルで創業100年のプロジェクトを発表する会見を開きました。
そこであいさつに立った私は「願わくば、社会の皆様、ファンの皆様、マスコミの皆様のご理解を得て、いつの日か私ども、吉本興業に戻ってきてくれるものだと信じております。この思いは私たち全社員、全タレント、全芸人の思いでもあります。どうかご理解をいただきたいと思います」と喋ったのですが、それを聞いた報道陣が“大崎が紳助に戻って来いと発言した”などと騒ぎ始めてしまったんです。
〈付言すれば、この時点で紳助は暴力団関係者と密接交際していたと自ら明かし、芸能界から電撃引退していた。ゆえに大崎氏の発言は、紳助の復帰を容認するものだとして、コンプライアンスに抵触すると物議を醸したのである。〉
全社員が寝る間も惜しんで準備してくれた100年プロジェクトの詳細は一切報じられず、私の発言だけが切り取られてしまい、参りました。
奇麗事を言うようですが、俺たちは何があっても家族や。世間さんにわびて許してもろうたら、また戻ってきて一緒に暮らす。単に事件があったからバサッと切って、サヨナラする会社ではないという意味のことを伝えたかったんです。
逸材を失った悔しさ
結果的に「笑えない吉本」とか、マスコミには散々に書かれました。紳助自身が反社会的勢力と食事をしていたことは否定できませんが、それで警察や検察、裁判所に呼ばれたことは一度もない。それでも、シンちゃんが辞めるって言ってきたので、私は“わかった、じゃあそうしようか”という話だった。その時は本人に戻ってこいとは言っていません。
やっぱり、あれだけの逸材を辞めさせてしまった、社長である自分自身に対する悔しさ、情けなさが強かったんです。それで、吉本としてもコンプライアンスを強化して、警察OBの方を顧問にお招きして、毎年、全タレントを集めて研修をすることになった。
また芸人からの電話相談も24時間受ける体制を整えた。右も左も分からへん若い芸人が、酒場で怪しい人から飲めって言われて口つけたけどアウトですか。そんな質問にも対応できるようにしました。
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