ナイツ塙が漫才協会に勧誘していた意外な人気芸人とは? “救世主”と呼ばれて協会会長に就任

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「ヤホー漫才」などの芸風で人気の漫才コンビ「ナイツ」でボケを担当する塙(はなわ)宣之(45)が、漫才協会の7代目会長に就任した。16年ぶりのトップ交代の背景を芸能ライターが解説する。

「前任は“ゲロゲーロ”のギャグで知られる漫才コンビの青空球児・好児の球児(81)でした。球児は平成19年から会長を務めていましたが、体力的な問題や世代交代という観点から退任を決意。6月19日の理事会で、副会長だった塙に職を譲った。一気に36歳も若返りましたね」

 一般社団法人漫才協会は、昭和30年に東京・浅草に発足した漫才研究会を前身とする。東京で活動する芸人が所属し、初代会長は昭和初期に活躍した漫才コンビ「リーガル千太・万吉」の万吉が務めた。ちなみに千太は柳家緑朗、万吉は柳家語楼を名乗る落語家で、その後は参院議員も務めたコロムビア・トップや、塙の師匠である内海桂子も歴代会長に名を連ねている。

「ナイツは平成12年の結成直後、所属事務所の指示で漫才協会に入会した。協会本部近くの浅草フランス座演芸場東洋館で芸を磨いたそうです。当時はインバウンドの到来前で外国人観光客はまばら。東洋館もガラガラで、街自体が活気に乏しかったですね」

若手や中堅の勧誘に成功

 塙は創価大学の1年後輩で、ツッコミ担当の相方・土屋伸之(44)とともに、ここで下積みを経験しつつ、師匠や先輩の芸を間近で学んだ。

「塙は29歳だった平成19年に最年少で理事に就任すると、知名度に欠けるベテラン芸人をユニークなエピソードを交えてラジオで紹介し始めた。昭和50年代後半に活躍した漫才コンビで、最近は極度の不仲で知られた『おぼん・こぼん』の関係を茶化した“不仲いじり”が話題に。テレビで彼らの仲直り企画が放送され、二人が改めて脚光を浴びるきっかけになりました」

 いまや「お笑い」といえば、多数の芸人を擁する吉本興業を中心とする上方漫才が主流。それだけに漫才協会は、伝統ある東京の演芸や漫才の牙城でもある。

「塙が入会した当時は会員も100人程度ながら、ベテラン芸人ばかりで平均年齢も高かった。そんな中、塙は積極的に若手や中堅を勧誘し、栃木訛りのギャグ“ごめんね、ごめんね~”で人気のU字工事をはじめ、2年前の『M-1グランプリ』で優勝を飾った錦鯉、『THE MANZAI 2012』を制したハマカーンも入会させています」

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