【ポール牧の生き方】なぜ白いブレザーに黒のズボンに着替えて死を選んだのか
日本で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。第4回は「指パッチン」で知られた喜劇役者・ポール牧(1941~2005)さん。18年前、衝撃の飛び降り自殺で自らの人生に幕を下ろしたポールさんは、「ドーランの下に涙の喜劇人」という句を残しています。人を笑わせる一方で、自身が背負っていた悲しみとは何だったのか――。
【写真】どんな場所でも指パッチン!サービス精神溢れた往年の姿
喜劇役者に誇りを持っていた
殺人事件の被害者が亡くなる直前に書き残したメッセージを「ダイイング・メッセージ」と呼ぶ。容疑者につながる手がかりとなることもあり、推理小説や探偵ドラマなどにもたびたび出てくるキーワードである。
まさに息を引き取る間際の「痛烈な叫び」。ではあのとき、彼がとった行動はどう読み解いたらいいのか。
2005年4月22日、東京・西新宿の自宅マンションから飛び降り自殺した喜劇役者のポール牧さん(本名・榛澤一道)である。発見されたときは、おなじみの白のブレザーに黒のズボン姿だった。
いわゆる「舞台衣装」を着たまま死ぬということは、まさにダイイング・メッセージではないか。関係者への恨み? 芸能界への未練? はたまた、かねがね噂があった女性スキャンダルか?
奇しくもこの1年ほど前の04年5月23日、「未来を生きる君へ」と題した朝日新聞の企画記事にポールさんのインタビューが掲載されていた。そこには自身が好きだというフランスの喜劇役者マルセル・パニョルの言葉が出ていた。
「工場から油にまみれて家路を急ぐ人たち、災害で家を失った人たち、親兄弟や子どもに先立たれた人たち。そういう人たちに、たとえ一時でも安らぎとほほ笑みを与えてあげられる者、そういう者を喜劇役者といい、そう呼ばれる権利がある」
ポールさんは10代のころ、夜間高校の図書館でパニョルの著書を手にし、以来、この言葉を自身に問いかけ続けてきたという。当時は寺の住職の代理をしていたが、コメディアンになる夢を捨てられず、17歳で上京。漫談家・牧野周一さん(1905~75)らに弟子入りし、関武志さん(1924~84)と出会って「コント・ラッキー7」を組んで人気芸人になった。
喜劇役者という仕事に誇りを持っていたはずなのに、なぜ自身の手によって自らの人生に幕を下ろしてしまったのか。
真相は謎に包まれたままだが、投身自殺にあたってわざわざ舞台衣装に着替えたということ自体、何かしら深い心の闇を抱えていたことがうかがえる。
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