朝ドラ「らんまん」好調の秘密 万太郎に今後訪れるであろう“悲劇”とは

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1話15分に見せ場と笑いが用意されている

 広く観られている理由はまだある。1話につき15分しかないにもかかわらず、見せ場と笑える場面、あるいは微笑む場面が用意されている。つなぎに過ぎないような中身の薄い1話がない。だから満足度が高い。

 長田氏は故・井上ひさし氏の晩年の弟子で、演劇畑の人。この脚本にも演劇と似たところがある。1話を1幕と捉えているのではないか。演劇は1幕だけ観ても一定の満足が得られる作品が多い。

 第68話もそうだった。万太郎は田邊から自分専属の「プラントハンター」になることを望まれた。つまり、田邊のために植物を探し歩く下働きである。だが、万太郎は毅然と断る。見せ場だった。

「(自分で見つけた植物が)大好きですき、誰にも渡せません。寿恵子さんを誰にも渡しとうないのと一緒です」(万太郎、第68話)

 長田氏のセリフづくりのうまさも表れていた。こう言われたら、田邊だって面と向かっては怒れない。

 同話には笑いもしっかりと盛り込まれていた。田邊と別れた後、万太郎は気落ちしていた。上司に逆らったことになるのだから、当たり前である。しかし、寿恵子に励まされ、笑顔を取り戻す。

 そして路上で寿恵子を抱擁しながら「(家に)帰ろう、一刻も早く」と、ささやいた。こうなると、寿恵子が期待することは夫婦の営みしかない。

 帰宅後の寿恵子はすぐに布団を敷き、夫婦枕を整え、準備万端。ところが万太郎は机にかじりついていた。

「スエちゃんのお陰で今はやる気に満ちあふれちゅう。ワシ、頑張るき。ありがとう!」(万太郎、同話)

 寿恵子は引きつった笑顔を浮かべながら壁を叩いた。

万太郎に今後訪れる悲しみ

 ほかにも広く観られているわけがある。長田氏は物語の構成もうまい。特に省略の仕方だ。万太郎は明治期になる6年前の1862年に生まれた。富太郎博士と一緒だ。しかし、幕末の混乱をほとんど描かなかった。

 万太郎が5歳の時に出会い、教えを受けた坂本龍馬(ディーン・フジオカ、42)もいつの間にか消えた。幕末を描くとテーマがぼやけてしまうと、長田氏は考えたのだろう。

 その後、万太郎が12歳だった1874(明治7)年から18歳の1880年(明治13)年まで物語が飛んだ。これも正しい判断だと思う。小学校を中退し、生活の場が「峰屋」しかなかった10代半ばの万太郎はエピソードがつくりにくい。

 その代わり、自由民権運動は厚く描いた。1881(明治14)年だった第22話、運動に関わったとして、万太郎は集会条例違反で逮捕される。自由民権運動がしっかり描かれたのは、「自由」という作品の大テーマに関わるからだ。

 竹雄は身分差や偏見から自由になる。綾と結婚したからではない。竹雄は「峰屋」の当主になっても身を粉にして働くに違いないから、分家もきっと認める。死を間近に控えたタキの懇願もある。「これよりは本家、分家と上下の別なく、商いに励んで欲しい」(タキ、第65話)。

 綾は女性が禁じられた酒造りに乗り出すのだろう。当主で夫の竹雄が禁じるはずがない。ジェンダーの壁を乗り越え、職業選択の自由を得る。

 万太郎は学歴格差の不自由から解き放たれる。モデルの富太郎博士と同じく、東京帝国大学理科大学助手や講師などを歴任するはず。クライマックスは富太郎博士が1948年に行った昭和天皇へのご進講になるのではないか。万太郎もご進講を行うと読む。

 この作品は過剰と思えるくらいに万太郎が小学校中退であることを強調する。今後、世に認められ、ルサンチマンを晴らす万太郎の姿を際立たせるためだろう。観る側も爽快な気分になるはずだ。

 これから先、万太郎に訪れることが見込まれる悲しみを1つだけ挙げたい。富太郎博士は長寿だった。1957年に亡くなった時には94歳だった。

 一方、寿恵子のモデルである富太郎博士の壽衛夫人は1928年に55歳で亡くなった。寿恵子も若くして他界するのではないか。

 万太郎と富太郎博士は生年が同じ。没年も一緒になる可能性が高いが、はたして人懐っこい万太郎が寿恵子も竹雄たちもいない世界の淋しさに耐えられるのだろうか。

 井上ひさし氏は、難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目になどと説いた。長田氏の作風はその通りになっている。自由という深いところにある大テーマが鮮明になるのはこれからだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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