「二階さんの逆襲が始まった」 維新を巻き込み岸田総理に反旗
「いよいよ二階さんの逆襲が始まった」
永田町に激震が走ったのは6月20日のこと。河村建夫元官房長官の長男・建一氏が、次回選挙で日本維新の会の公認を受け、都内の選挙区から出馬するとの情報が流れたからだ。
「建夫氏は一昨年の衆院選に際し、参院からの鞍替えを狙った岸田派ナンバー2の林芳正氏(現外相)と山口3区を巡って熾烈(しれつ)な公認争いを繰り広げた。二階俊博幹事長(当時)は、およそ20人の二階派議員を建夫氏の地元・宇部市の決起集会に送り込んだ。二階氏もマイクを握り“売られたケンカは受けて立つ”とすごんで林サイドをけん制したほどです」
建夫氏は長らく二階派の会長代行を務めた重鎮の一人。が、衆院選の前に菅義偉総理が政権を投げ出し、岸田文雄政権が誕生したことで旗色に変化が。
「二階氏は役職の任期制を掲げた岸田総理に職を解かれ、派閥は非主流派に転落。山口3区は林氏に奪われてしまい、建夫氏は引退に追い込まれてしまった」
「岸田は血も涙もない」
それでも二階氏は林氏に選挙区を譲る見返りとして、建一氏を比例代表中国ブロックの上位で処遇するよう求める底意地を見せた。
「ところが岸田総理は、建一氏を縁もゆかりもない北関東ブロックに追いやった。建一氏は落選し、昨年の参院選に比例代表で出たものの、再び落選したのです」
あまりの冷たい仕打ちに、二階派幹部らは「岸田は血も涙もない」と憤りを隠さなかったという。とはいえ、弱肉強食は永田町の習い。自民党関係者も「二階派からは片山さつき、中川郁子といった退会者が相次ぎました。二階さんが誇った求心力の低下は目を覆わんばかりでしたよ」と当時の惨状を証言する。
その二階氏は今年で御年84歳。もはや総理や執行部への怨念や闘争心は下火と思われたが、怒りの炎は新たな“燃料投下”で再び燃え上がったという。
先の政治部デスクが言う。
「政敵の麻生太郎副総裁が、二階派所属の鳩山二郎氏の福岡6区、宮内秀樹氏の福岡4区に対抗馬を差し向ける動きを見せています」
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