巨人の宿舎が危うく焼き討ちに…長嶋茂雄邸も狙われた! 暴走したファンが引き起こした“恐怖の事件簿”
脅迫状には「右腕を折る」の文字
本人とは直接関係のない事件にもかかわらず、「片腕を折る」と脅迫されたのが、三沢高のエースとしてチームを夏の甲子園準優勝に導き、国民的アイドルになった近鉄・太田幸司である。
1971年1月22日、「青年ゲリラ隊」を名乗る人物から青森県三沢市の小比類巻富雄市長宛てに「白鳥を殺した三沢市民の猛省を促すため、太田には悪いが右腕を折る」という意味の脅迫状が届いた。
三沢市内の公園で白鳥が殺されているのが発見された事件にかこつけたものだが、もちろん、白鳥の死と太田とは何の関係もない。
大阪・羽曳野市の合宿所で羽曳野署員から事件を聞かされた太田は「なぜ僕が脅迫されなければならないんです。有名税にしたって、あまりにもひどいです。郷里の三沢に白鳥がいることさえ僕は知らなかったのに」と憤慨した。
球団はすぐさま同署に太田の身辺警護を依頼。自主トレ中のグラウンドで私服刑事がにらみを利かせるなど、万全のガード体制を敷くとともに、太田には夜間の外出禁止や単独行動を取らないよう言い渡した。
その後、太田自身に危険が及ぶことはなかったが、警察と球団による警戒態勢はしばらくの間続けられた。
警察官が“長嶋邸”に急行
「巨人・長嶋茂雄監督の家に爆弾を仕掛けた」と悪質ないたずら電話をかけた男が逮捕される事件が起きたのが、1976年11月だった。
巨人が日本シリーズで阪急に3勝4敗で敗れた翌日の11月3日午前1時ごろ、警視庁に男の声で前出の内容の110番電話が入った。
警視庁は東調布署員15人を大田区田園調布の長嶋監督邸に急行させ、約1時間にわたって不審物の捜索に当たったが、爆弾らしきものは見当たらなかった。
その後、110番にかかってきた電話を逆探知したところ、台東区内の工事現場内であることが判明。現場に寝泊まりしていた青森県三沢市出身の住所不定、32歳の大工を軽犯罪違反の疑いで逮捕した。
調べによれば、男は前日、巨人が敗れたあと、0.72リットルのヤケ酒をあおり、それでも腹の虫が収まらないため、「長嶋監督と警察を脅してやろう」と思い立って、いたずら電話をかけたという。逮捕後は「まさかばれるとは思わなかった」とすっかり酔いも覚めてシュンとしていた。
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