「中野サンプラザ」本日閉館 50年前、オープニング記念公演に行った男性の証言「あれほど驚いた演奏会はありません」
最初の駅前開発で開館し、二度目の開発で閉館に
開館50周年を迎えたばかりの中野サンプラザが、7月2日、ついに閉館する。最終日は、山下達郎のコンサート。1980年、最初の大ヒットとなった「RIDE ON TIME」コンサートの会場として使用して以来、ずっと愛してきた会場だ。
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このホールは、ほかにも、加山雄三、ユーミン(松任谷由実)、さだまさしといったポップス・スターたちに愛されてきた。その理由について、何度もここのステージに立ったという、あるバック・ミュージシャンに聞いた。
「席数は可動席込みで2222。渋谷のオーチャード・ホールとほぼ同じキャパですが、客席のつくりが独特で、最後列の観客の顔まで、はっきりわかります。つまり、観客からも出演者の表情がよくわかるということです。反響壁などの設備がないので響きはデッド(残響が少ない)ですが、その分、PA(音響設備)次第で、どんな音でも生み出せるので使いやすい。山下さんがここを愛した理由は、そのあたりにあると思います」
また、同ホールの魅力は“舞台裏”にもあるという。
「1階横の楽屋口や搬入口から入ると、すぐにステージ真裏の大函楽屋なので、出入りや移動がラクなんです。スタッフ用の会議室もある。2階にはトイレ・シャワー付きの個室楽屋とVIP楽屋などが全部で6室。さらに3階は最大100人ほどが入れるリハーサル室になっている。近年のホールは狭い土地に建っているので、階段やエレベーターで何度も上下しなければならず、廊下も迷路のようでヘトヘトになります。その点、サンプラザの舞台裏はシンプルで、出演者たちのことをよく考えてくれているホールなんです」
実は、ここは「日本の優良ホール100選」にも選出されている、“名門ホール”なのだ。そのため、サンプラザといえば「ポップスの殿堂」と称されることも多い。ところが、
「それは後年の話で、開館当初は〈クラシックの殿堂〉になると思っていた周辺区民も、けっこういたんですよ」
と意外なエピソードを語るのは、編集者の森重良太さん(64)である。
実は森重さんの実家は、中野駅の南側、中央線の線路近く にあり、台所の窓からサンプラザが見えた。そのため、建設当時からこの建物を眺め、開館前後をつぶさに目撃してきたのだという。
「中野駅北口は、戦後、早くにアーケード屋根を付けたことで有名となった〈中野北口美観商店街(現・中野サンモール)〉を中心とする素朴なエリアでした。いまのサンプラザ周辺は広々とした空き地で、休日のたびに早朝から、野球をやる小学生たちが場所取りを争っていたほどです」
その後、“北口再開発”がはじまり、1966年に中野ブロードウェイがオープン。1968年に中野区役所が南口(現・中野郵便局)から北口へ移転。そして1973年、その隣に、雇用促進事業団による「全国勤労青少年会館」(現・株式会社中野サンプラザ)が落成して、再開発が完成する。
「つまりサンプラザは、中野駅北口の、最初の再開発で開館し、二度目の再開発で閉館するわけです」
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