詩人・斉藤倫が「最初の記憶」として思い出す「曾祖父の背中で耳にした歌」
人生最初の記憶
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』などで話題を博し、近刊『ポエトリー・ドッグス』は各メディアで取り上げられるなど、、多くのひとの心をつかむ詩人・斉藤倫さん。幼い頃、曾祖父の背中で耳にしたあのメロディーを、忘れることができなくて……。
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人生最初の記憶は?という質問がよくあるけど、ぼくには、きまってひとつの歌が聞こえてくる。
うまれてから3歳くらいまで、曾祖父母のところにいた。
影のこごった日本間の、棚のうえにテレビがあって、表面張力みたいに丸くせり出したブラウン管は、むこうがわのせかいがこぼれ落ちそうに見えた。神棚も、はしらのふり子時計も、だいじなものは、当時みな、ねずみ返しみたいに、高いところにあった。
テレビのうしろは、横長のガラス窓。そのそとは、きりたった崖で、日もささないほど、ぎりぎりに地肌がせまり、石くれやほつれ出た木の根まで見えた。崖のうえはバイパスで、ひっきりなしの車の音。古い柿の木が4本ある、敷地のまえを、せまい車道が横ぎり、門や塀のかわりみたいに水場があって、初夏は、蛇口のそばでかってにミョウガが生えた。
「じぶんのそんざいの根っこ」を支える歌
車道のガードレールのしたは、いきなり4、5メートルの断崖で、のぞきこむと、奥羽(おうう)本線の線路が模型みたいにちいさく見えた。
そのほこりっぽい一本道を、曾祖父におぶわれて行くのが、じぶんの最初の記憶だ。くぐもったなまりで、ふるい蝶番みたいにぎくしゃくとした歌が、せなかごしに聞こえる。それがどうしてか、「おさるのかごや」だった。
本来は子守唄らしくない、にぎやかな歌なのだ。せおいひもに、ねんねこで、ときおりゆすりあげられながら、バイパスの高架下の濃い影をくぐった。
曾祖父は、きまじめでかもくな営林署の役人だったらしいけど、まもなく怪我(けが)をえて、十数年のねたきりのすえ、世を去った。そんな仄暗さにそぐわないたのしげな歌と、異形のかごでどこかへ運ばれていくという、あまやかな不安は、夢のようにちぐはぐなのにもかかわらず、じぶんのそんざいの根っこを、いまでもささえているとかんじる。
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