瀕死の事故、同僚との確執から復活した、ツール・ド・フランス王者「レモン」の壮絶な半生(小林信也)

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 ツール・ド・フランスを彩る英雄の中で、深く私の印象に刻まれているのはグレッグ・レモン(アメリカ)だ。

 最初に日本のテレビでツール・ド・フランスが本格的に紹介されたのは1985年のNHKだ。私も放送を見た。最終ステージのフィナーレに激しい衝撃を受けた。自転車の大集団がシャンゼリゼ通りのゴールに突進する。固唾(かたず)をのんで見つめる中、集団が真ん中から八の字に割れ、扇形に広がった中央から一人の選手が飛び出して来た。最終ステージを制したスプリンターだった。鮮やかな優勝劇。そして総合優勝はベルナール・イノー(フランス)。彼をしのぐ実力を持ちながらチームのエースをサポートし続けたレモンの存在を知って強く引かれた。自転車レースが個人戦でなく、チーム戦だとその時に知った。

 後で専門家の解説を聞けば、ゴールの興奮はロードレースを知らない素人の驚きすぎだったかもしれない。改めて教えてくれたのは自転車ジャーナリストの山口和幸だ。山口は八重洲出版で自転車雑誌「サイクルスポーツ」編集部に配属されてツール・ド・フランスに魅了され、会社を離れたいまも毎年取材に訪れている。

「普通、ツール・ド・フランスの最終日は“凱旋パレード”なのです。前日までに勝負は終わって、家族の待つシャンゼリゼ通りに全員で凱旋する」

 しかし、最終日の壮絶で華麗なスプリント勝負だけでも劇的で魅力的だった。

「でも時々、最終日まで真剣勝負が持ちこされる年があります。初めて取材に行った89年がそうでした」

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