中日・落合監督に「出した甲斐があった」と言われ…トレードで野球人生が変わった選手たち

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“野村再生工場の最高傑作”

 前球団で構想外の烙印を押されたのに、新天地で心機一転エース級の活躍を見せたのが、1996年にダイエーからヤクルトに移籍した田畑一也である。

 実家の工務店で大工見習いをしていたときに入団テストを経てドラフト最下位指名という異色の経歴で知られる田畑は、ダイエー時代は4年間通算2勝2敗、防御率4.57と活躍できず、前年は右肘痛に泣いた。

 この結果、王貞治監督の構想から外れ、2対2の交換トレードでヤクルトへ。そして、この移籍が吉と出る。

 キャンプ当初、野村克也監督は「あまり特徴のないピッチャーやな」と評していたが、紅白戦、オープン戦と好投を重ねるうち、「投手としてのセンスがある」と一目置くようになった。

「ここが最後のチャンス」と腹を括った田畑も、前年まで晩酌代わりに5、6本飲んでいたビールを1本程度に減らし、私生活から改善して野球に打ち込んだ。

 その甲斐あって、シーズン開幕後の4月13日の中日戦で8回まで無失点に抑え、移籍後初勝利を挙げると、6月22日の中日戦で被安打1のプロ初完封を記録するなど、オールスター前までに7勝。野村監督も「田畑がおらんかったと思うとぞっとする。ほんま獲っておいて良かった」と絶賛するほどの活躍を見せた。

 同年12勝を挙げた田畑は、翌97年も自己最多の15勝をマークしてリーグ優勝と日本一に貢献。テスト入団から大飛躍を遂げたことから、“野村再生工場の最高傑作”と呼ばれた。

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