84歳で孤独死した日本初の風俗ライター・吉村平吉さん 思わず「良かったですね。まるで現代の荷風ですよ」と言った人生を辿る

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「よかったですね。現代の荷風ですよ」

 さて、そろそろ「へーさん」のうらやましい最期について触れよう。

 2005年3月5日朝、新聞受けに新聞が何紙も挟まったままで、しかも配達された牛乳がそのまま玄関前に置かれていったのをマンションの管理人が不審に思った。部屋に入って電気をつけると、ベッドからずり落ちたへーさんが裸のまま床に倒れていた。すでに息絶えた状態。

 マンションは施錠されていて、しかも全裸だったものだから、警察は当初、「不審死」として捜査を始めようとしたらしい。が、外傷はなく、誰も入ったような形跡もなかったものだから、数日前に寝ているとき、突然、発作を起こし、そのまま亡くなったのだろうということに落ちついた。死因は心不全。

 晩年のへーさんの身元引受人のような立場にあった私は、この日の朝、携帯電話で連絡を受け、下谷警察署に向かった。霊安室でへーさんは穏やかな顔で眠っていた。「へーさん、良かったですね。まるで現代の荷風ですよ」と私はご遺体に声を掛けた。

 へーさんは結婚したことは一度もないというが、そのあたりの真偽は定かではない。ただ、いろいろと面倒を見てくれる女性はいたらしい。生涯に単行本としてれっきとした出版社から出したのは、『実録・エロ事師たち』(立風書房、1973年)、『吉原酔狂ぐらし』(三一書房、1990年)、『浅草のみだおれ』(同前、1997年)の3冊のみ。晩年は貯金も尽き、名前だけ役員をしている芸能会社から月々の顧問料をもらう程度だった。

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