「戦争の長期化に拍車」「エリートの離反と愛国勢力の反発」 ワグネル反乱は何を示したのか

国際

  • ブックマーク

 反乱軍はモスクワへ200キロの距離まで迫った。首都の空港から大統領専用機が離陸したらしい。次々に飛び込んでくる速報を、世界は固唾(かたず)をのんで見守った。結局、反乱劇は武装蜂起から24時間で収束したが、これはウクライナ戦争、ひいてはプーチン政権の「終わりの始まり」となるのか。

 ***

 国の最大権力者に武力で威嚇し訴える。日本では今回の反乱劇が、平安時代に白河法皇を困らせた比叡山延暦寺や奈良・興福寺の僧兵による「強訴(ごうそ)」や、室町時代に足利将軍の屋敷を守護大名が取り囲み要求を通そうとした「御所巻(ごしょまき)」に例えられた。

 そんな歴史の教科書でしかお目にかかれないような出来事が、実際に起こってしまうのが現代のロシアなのである。

 6月26日夜(日本時間27日午前4時過ぎ)から、ロシア国営放送はウラジーミル・プーチン大統領(70)の演説を放送した。

「武装反乱はいかなる場合でも鎮圧される。反乱を組織した者たちは、国や国民を裏切り、犯罪に引きずり込んだ者も裏切った」

 プーチン大統領が憤怒の表情でそう批判する相手は、民間軍事会社ワグネルの代表であるエフゲニー・プリゴジン氏(62)だ。

組織の存続を懸けて…

 自らの配下にある戦車部隊と兵士を率いてロシアの南部軍管区司令部を占拠。“正義の行進”と称してモスクワへと進軍し、セルゲイ・ショイグ国防相(68)やワレリー・ゲラシモフ参謀総長(67)の更迭を求めたが、ロシア政府との交渉は難航。ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領(68)の仲介で、矛を収める代わりにプリゴジン氏は“亡命者”として国外脱出を図ったのは周知の通りである。

 外報部デスクによれば、

「ウクライナ戦争以降、ロシア国防省は約2万人いるとされるワグネルの兵士たちに、軍との正式な契約を求めていました。かねて前線では双方の主導権争いともいえる小競り合いが頻発。ワグネルがロシア軍に吸収されることを危惧したプリゴジン氏が、組織の存続を懸けて実力行使に出たわけです」

次ページ:政権発足後、内政における最大の危機

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。