同じ監督の映画が半年間に3本公開の異例 「大名倒産」の前田哲監督が語る“映画監督というお仕事“
「なに格好つけているんですか」と檄を飛ばされ復活
22年は3作を撮影した前田監督だが、近頃は半年以上「映画を作っていない」という。
「公開作の宣伝の仕事はしていますが、映画は作っていない状態。今年撮るはずだった作品は2本ともスライドしてしまいましたが、もしかすると年末に撮影に入れるかもしれません。作っているときは、規則正しい生活で体も精神も健康なんですけどね」
具体的な作品が決まっていない時期は企画づくりに励む。
「原作や参考にできそうな本を読んだり、映画を観まくったり。企画を考えるときは、なるべく喫茶店や外を歩くようにしています。机に向かうのは、企画書か脚本を書くときだけです」
映画監督のフィルモグラフィには、1年、2年の空きがよくある。前田監督にも、13年の「旅の贈りもの~明日へ~」から、18年のヒット作「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話(以下、バナナ)」まで、5年のブランクがあった。
「あのときは、大学で教えていました。辞めて退路を断って勝負したのが『バナナ』です。13年まで曲がりなりにも毎年撮れていたのは、ひとえに運と縁のおかげでした。でもついに撮れなくなりました」
前田監督は2009年4月から、東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科の准教授だったが、2013年に退任した。映画監督として復活を遂げたのは、「バナナ」のプロデューサーでもある松竹の石塚慶生氏との出会いが大きいという。
「石塚プロデューサーから、『50歳を過ぎてヒット作も受賞作もない。この先どうするんですか?』と言われて。でもキャリアは認めてくれていたようで、『30本企画を出してみてください』と言ってもらった。映画にはなりませんでしたが、30本のうち残ったのは伊坂幸太郎の『魔王』など2本。このとき彼に『なに格好つけているんですか。お客さんを感動させる映画を作らないでどうするんですか』と檄を飛ばされて……」
そして、やっと奮起した。
「僕はそもそも、闘病記や人を感動させる作品が好きじゃなかったんですが、原作の『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史・文春文庫)は違いました。障害を持つ方に対するイメージを完全に覆したというか。石塚さんに持って行ったら『これですね。でも3年かかります。覚悟はありますか?』と問われ、大学を辞めて集中することにしました。失うものはありませんから」
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