過去には逸失利益“ゼロ”も…事故死した聴覚障害「11歳女児」に減額判決 愛娘の自立に向けて奔走した遺族の胸中

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障害ある我が子と共に生きて

 障害がある子の自立のために、共に歩んでいた井出さん親子。その親子の歩みを傷つけるような加害者側の主張に、井出さんは憤りを隠せないでいた。

 井出さんは、安優香さんが産まれたときのことをこう振り返る。

「生まれてすぐ安優香の障害がわかったんですよね。新生児のときに。生まれた病院でちょっと聞こえの反応が鈍いと言われて。そこで、大きな病院へ行って、検査してもらったら重度の難聴と診断され、“言葉の獲得はできない”と言われました。でも、大阪へ帰って、再度、大きな病院で診てもらったら、早期に補聴器をつけて外部の音を聞き入れることで、発音などができるようになる、と。“早期に療育に携わることは、後々の発達にも役立ちますので、早く見つかってよかったですね”って。医者にそう言われたので、妻が中心になって、小さいときからことばの教室に通っていたのです」

 障害を持った我が子との対面。我が子といえども、そう簡単に受け入れられるものではない。しかし、井出さん夫妻は安優香さんとともに、将来に向けて二人三脚で歩みを進めていたのだ。

「小さいときから教室に通っている流れで、支援学校の幼稚部に通いました。小学校に上がるときは悩みましたよ。地域の学校か、そのまま支援学校か。でも、死んで行く順番がありますから。やはり、自然の流れで親が先に死ぬ。私たちがいなくなったあと、娘はどうなるんだって思いますよね。彼女の自立を一番に考えて支援学校を選択しました。その支援学校の目の前で事故に遭ってしまって……」

 子どもに障害があれば、親は一層、子どもに寄り添い、その子がより良い社会生活を送れるようにするだろう。それが親の務めであると感じる親は多い。井出さん夫妻も安優香さんの障害を受け入れ、そして、我が子が障害をばねに新しい扉を開けられるよう、共に努力していた。にもかかわらず、この結果はあまりにも酷ではないだろうか。

「娘を思い出さない日はありません」

 子どもを亡くした上、裁判によって障害者差別にあたいする言動を浴び、心神疲弊していた井出さん夫妻。だが、夫妻の強い思いは社会を動かすことになる。

「報道を知った聴覚障害や全盲の弁護士の先生たちが、連絡をくださり、ありがたいことに弁護団ができました。また、聴力障害者協会さんの協力のもと、10万人分の署名も集まったのです。一審の判決を聞いて、全員一致で控訴することが決まりました」

 現在、大阪高裁控訴を支援するため、さらなる署名活動が行われているという。

「5年経った今でも、毎日娘のことを思い出しますよ。思い出さない日はありません。朝が来るのが本当に辛いですね、現実を思い出してしまうので。でも、安優香のため、障害児・者のため、私は納得するまで戦い続けます」

中西美穂(なかにし・みほ)
ノンフィクションライター。NPO法人サードプレイス代表。元週刊誌記者。不妊治療によって双子を授かり、次男に障害があることがわかる。自身の経験を活かし、生殖補助医療、妊娠・出産・育児、障害・福祉を中心に取材活動を行う。Twitter(thirdplace_npo)

デイリー新潮編集部

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