大阪「聴覚障害女児」死亡事故 逸失利益“健常者の85%”判決に遺族は「裁判所が差別を認めるのか」

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 2018年2月、大阪で聴覚障害を持った井出安優香さん(当時11)がショベルカーにはねられ、亡くなった。あれから5年――。愛する子供を亡くした遺族は、いまだに暗闇の中にいる。それどころか、子供を亡くした現実を受け入れるだけでも必死な遺族は、“障害”を理由に、さらなる苦しみに苛まれている。そこには、交通事故を巡る司法の判断、そして、障害児が置かれた環境の残酷さを改善すべく、懸命に戦い続ける、父親・井出努氏の姿があった。(前後編のうち「前編」)【中西美穂/ノンフィクションライター】

“逸失利益”を巡る裁判の行方

「あの事故さえなければ、平凡な日々を送っていたんだろうなって常に思いますね。会社側が不起訴となった刑事裁判の判決には、いまだに納得がいきません」

 大阪府立生野聴覚支援学校前で、信号待ちをしていた安優香さんと3人の児童、1人の教師、計5人にショベルカーが突っ込み、安優香さんが死亡、4人がけがをした。事故の翌19年、事故原因はてんかん発作による意識喪失と刑事裁判で認定され、運転手は自動車運転処罰違反(危険運転致死傷)罪などで懲役7年が確定している。

 運転手を雇用していた建設会社も、運転手にてんかんの持病があると承知しながら、運転の禁止を徹底していなかった罪に問われた。だが、結果的に会社は不起訴となったのである。

 その後、2020年に遺族は、運転手と建設会社を相手取り、民事訴訟を起こし、両者に対して計6100万円の損害賠償を求めている。そこで争点となったのが、“逸失利益”だ。

 逸失利益とは、事故がなければ、被害者が将来得られたであろう収入・利益のことを指す。

 一審で運転手側は、亡くなった安優香さんの逸失利益を「健常者の6割」と主張。井出さんは、この主張に対して「減額は障害者差別にあたる」と反論。今年2月27日、大阪地裁は、全労働者の平均年収の85%に当たる3700万円あまりの損害賠償を運転手側に命じたのだ。

「9歳の壁」

「一番許せなかったのは、相手側が“9歳の壁”を持ち出したことです。安優香が亡くなったことは現実であり、受け入れざるを得ないのですが、裁判において、障害児差別である9歳の壁を言い出されると、安優香を返してくれってなりますよね」

「9歳の壁」問題とは、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力が、小学校中学年水準に留まるという現象を指したものである。

 加害者側は、以下に表する、「9歳の壁」に関する論文を主張してきたのである。

<聴覚障害児童は健聴児童に比べて大学や短大に進学できるだけの学力を獲得することが困難であり、仮に大学・短大に進学できたとしても、十分な情報保障や周囲の理解が得られず、高等教育の学習に支障が出ることが少なくない。このような形で苦労の多い就学期を乗り越えて、ようやく労働市場に参入する際にも、依然として情報保障の不足や周囲の聴覚障害に対する理解・配慮の欠如に悩まされることが多い>

「相手側は、“9歳の壁”に関する論文の都合の良い箇所だけを抜粋し、逸失利益を“40%”とする何の根拠もない主張をしてきたのです。そして署名活動や弁護団結成後すぐに“9歳の壁”問題を撤回し、“逸失利益60%”に主張を変えてきました。しかし、この“9歳の壁”問題を主張したのは事実であり、私たち家族を苦しめた2次被害に他なりません。差別的な主張をした責任は大いにあり、この問題を撤回する前に謝罪の一言があって当然だと私は思っています。2審の裁判では取り上げられる事はありませんが、私共の裁判の原点は“9歳の壁”問題なのです」

 筆者もその準備書面を読ませてもらったが、被告側が用意した書面には障害者差別に値するような表現が散見され、当事者や親としてこれほど屈辱的なものはないと感じた。

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