高山清司若頭も出席 6代目山口組の執行部会で話し合われた12年前の「因縁の人物の出迎え問題」

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頂上作戦の明暗

「当時の警察庁の安藤隆春長官は、“弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして暴力団の弱体化はない”と檄を飛ばしていました」(同)

 弘道会の徹底取り締まりは全国の警察による頂上作戦の一環であり、若頭逮捕につながるどんな小さな情報でも全国の警察は求めていた。

「その流れの中で浮上してきたのがこの恐喝事案だったというわけです」(同)

 一足先に上告を取り下げて収監された高山若頭とは違って、高山総長は最高裁まで争ったが、2015年6月に最高裁で懲役8年の実刑判決が確定した。その間、生体腎移植手術を受け、判決確定後も1年半以上、服役に耐えられない病状を理由に収監は先延ばしにされていが、結局2014年に下獄する。

 先の記者は2010年当時の頂上作戦について、こう振り返る。

高山若頭の思い

「高山若頭が服役中の2015年8月に山口組は分裂し、神戸山口組が誕生しました。彼の不在を狙って、神戸山口組側が仕掛けた分裂劇であることは誰の目にも明らかで、高山若頭が誇っていた統制力・統率力の大きさがうかがい知れますね。頂上作戦そのものに関しては、高山若頭を刑務所送りにできた点ではこれ以上ない成功を収めたと言えるわけですが、結果的に今に続く抗争の引き金を引くことになってしまったとも言えます」

 8年余りの服役を終えた高山総長については、どのような扱いになるのか。

「高山若頭としては、逮捕容疑となった恐喝に関しては、何ら言われのない罪に問われた、とばっちりを食らったという認識が強かったと記憶しています。だから、高山総長に対しても複雑な感情を抱いていたとされています。まあでもその若頭自身が出席した執行部会で出所がテーマになったということは組織として歓迎しようということ。高山若頭が高山総長にわだかまりを持っているわけではないと見ていいのでしょうね」(先の竹垣氏)

デイリー新潮編集部

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