日本と朝鮮が交戦した「文禄・慶長の役」で、誰がすぐに逃亡して、誰が最後まで勇敢に戦ったのか?
明の征服を目指した豊臣秀吉が引き起こした「文禄・慶長の役」。破竹の勢いで朝鮮半島に侵攻する日本軍に対して、朝鮮側はどのように対応したのだろうか?
朝鮮史の研究者で、フェリス女学院大学教授の新城道彦さんの新著『朝鮮半島の歴史―政争と外患の六百年―』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けする。
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1591年12月に秀吉は甥の秀次に関白を譲って「唐入り」に専念し、九州や四国の兵糧を肥前の名護屋周辺に集めるよう命じた。...