「安倍さんはアンチ創価学会だったのに上手だった」「茂木さんが頭を下げるしかない」との声が漏れる「自公」亀裂の今後

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安倍晋三元首相はうまくやっていた

 Fに生殺与奪の権を握られている自民党の議員は少なくないとされる。当然彼らはこれがなければ落選する、という危機感を抱いている。

 ところが茂木幹事長らの言動からして、東京以外のエリアでも自公がこれまで通りの関係を維持できるかは怪しい。ましてや東京では学会員の動きが鈍くなって自民から落選者が相次ぐ可能性がある。これが現状だ。

「茂木氏も麻生氏も、そして岸田文雄首相も自分自身の選挙は常に楽勝だから公明を頼ることに懐疑的という面もあるでしょう。また、最初から当選圏外の候補者も公明の票を足したところで焼け石に水なので自公の関係には無頓着。しかし、当落線上にいて公明の票がなければ落選の可能性が高まる候補者の数はかなり多い。連立を解消したことで自民を支持するようになる人もゼロではないかもしれないですが、そう多いとは思えません。党勢維持や拡大を考えれば公明と密接な関係を続ける他、選択肢はないはずなのですが」(同)

安倍元首相のスタンス

 その点、「安倍晋三元首相はうまくやっていた」と、このデスクは振り返る。

「安倍氏は元々、自民党や一部宗教団体で構成されたアンチ公明・学会グループである『四月会』メンバーで、その急先鋒でした。新人時代には、アンチの姿勢を学会幹部からたしなめられたこともあると公に語っていたこともあります」

「そのアンチの姿勢は亡くなるまで変わらなかったですし、山口代表がいないところでは批判めいた言葉も漏らしていました。が、公明・学会のサポートなしには立ち行かない自民のリアルを理解し、公然と批判は一切しないようにしていましたね」(同)

 内心はさておいて、自民党や政権のために戦略的に言動をコントロールすることを安倍氏は実践していた、ということになる。

 ちなみに当時、安倍氏以上に学会批判を展開し、「公明党から創価学会を引くと何も残らない」(毎日新聞/1994.11.06)などと語っていた自民党の白川勝彦氏は後に自治大臣を務めるも、公明の推薦を得られず、2000年の衆院選で苦杯をなめた。その後も自公連立政権を認めることなく2019年に亡くなっている。

歩み寄りの一手

 もちろん、白河氏の姿勢を一貫していると評価することはできるだろう。

 だが、現状、茂木幹事長は連立解消を進めるわけでもなく、単に関係をギスギスしたものにしているだけ、というところだ。それだけに党内には何とかしてくれという不満の声があるのも事実。当事者からすれば、安倍氏のクレバーさが懐かしいに違いない。

「今後の展開としては、一応、歩み寄りの一手として、新設される東京29区で公明が擁立する候補者に対し、自民が推薦を出す方向で調整しています。相手側から頼まれてもいないことをするというのは屈辱に近いかもしれません。ただ、これに加えて交渉の責任者である茂木氏が公明側に頭を下げるということがベストでしょうね」

 もっとも、今秋に予定される内閣改造・自民党役員人事いかんによっては茂木氏が幹事長から外され、頭を下げる立場ではなくなる可能性もあるわけだが。

デイリー新潮編集部

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