「NHK」「日テレ」初放送争いの背後に「CIA」「吉田茂」「読売新聞社主」の暗闘が 知られざるテレビ創世記秘話
吉田の正力潰し
その4日後の9月1日、柴田が関連省庁の推薦状をもって凱旋帰国した。
ところが吉田はこのドル建ての借款に承認を与えなかった。外貨準備が少ないので、日本テレビに外貨を使われたのでは、火力発電など国のプロジェクトを遂行するためのドルが足りなくなるというのだ。彼は柴田がアメリカに行く前にはOKを出していたので、これは口実だった。
本当の理由は正力が政敵の鳩山一郎(1883年生まれ)に加担し始めたからだ。正力は京成電車疑獄(28年に起きた京成電気軌道の浅草乗り入れを巡る汚職事件。正力は京成の総務部長だった)に連座したとき鳩山に助けられた経緯から、鳩山支持者になっていた。
吉田が拒んでも鳩山が政権を取れば、借款に対する承認が得られるはずだ。だから正力はあきらめなかった。
そこで吉田はからめ手を使う。柴田の帰国後の頃から、正力が密かにアメリカ国務省の援助を得て、軍事用マイクロ波通信網を作り、日本を戦争に引きずり込もうとしている旨の怪文書をばらまいた。
それだけでなく、あろうことか野党と計らって、怪文書を11月6日の衆議院電気通信委員会で取り上げさせた。正力とCIAの秘め事は日本国民の知る所となった。
これを見てCIAは工作を放棄することを決定した。これでマイクロ波通信網を通じてテレビ放送を全国的に行うという正力の望みはついえ去った。それを阻んだのは吉田だったのだ。
一方のNHKは、マイクロ波通信網を延長し、翌54年の3月に名古屋局、大阪局がテレビ放送を始めた。福岡局などの地方局のテレビ初放送はこの通信網を延長したさらに2年後になる。
ファイスナー・メモでは、このようなマイクロ波通信網は公共財なので税金を投じて作って、民放、電話事業者などに開放すべきだとしていた。
今日にいたるまで受信料が存在する理由
だが、NHKは自前で作り、独占使用することにこだわった。半ば強制的に徴収される受信料を原資としてそれを作れるのだから、民放や電話事業者、すなわち電電公社と共用などしたくないのだ。
NHKはこうしてマイクロ波通信網を全国にあまねく張り巡らせていった。NHKがラジオ放送のみを続けていたなら、このような建設費は必要なかったので、受信料は、組織が肥大しない限り、いずれかの段階で廃止することができたはずだ。今日にいたるまで受信料が存在するのはNHKがテレビ放送を始めたからだといえる。
日本テレビは結局東京局の1局に終わり、経営上は独立の系列地方局を通じて全国放送することになった。
NHKの恩人佐藤は、首相になったあとの67年、人気取りのためにNHKのラジオ受信料を廃止した。もとより政府が決めることではないが、テレビ放送を許して生き残らせてやったのだから、これくらいのことをしてもいいと思ったのだろう。以後も政府によるNHK支配は続き、今に至っている。
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