なぜ「中国雑技団」が日本へ? “燃焼系CM”出演が転機となりショッピングモールに引っ張りだこ
「中国のサーカス」ともいわれる中国雑技団が、いま日本各地のショッピングモールで人気を集めている。そこに至るまでには紆余曲折があった。
【なつかしい実際のCM】「燃焼系アミノ式」CMで、ビルの屋上で逆立ちするサラリーマン姿の張さん。イタリア公演で、6脚の椅子を使った逆立ち技や「変面」を見ようと集まったすごい数のお客さんなど
老若男女を問わず楽しめる「変面」が人気
中国雑技とひとくちで言っても、高度な身体能力を生かした軟体芸やアクロバティックな大技、さらには変面といった伝統的な芸まで多岐にわたる演目がある。
そんな曲芸のパフォーマンスを、京都や広島、茨城、静岡、栃木などのショッピングモールで行っているのが「張海輪中国雑技団」を率いる張海輪(ちょう・かいりん)さんだ。
張さんは中国の雑技団一家に生まれ、21歳で単身来日、自身もパフォーマーとして公演を行う。
「中国語で『雑』という字は、『なんでも』や『全て』といった意味があります。中国雑技は数千種類にものぼると言われており、人の上にのぼって技を決めるバランスやジャグリング、軟体などさまざまです。その中でも私が得意としているのは逆立ちです」
張さんによると、日本のお客さんに特に喜ばれるのが「変面」だという。そもそもは四川省の伝統芸能である「川劇(せんげき)」の中で生まれた演目で、手や扇子を顔にかざした一瞬のうちにお面が変わる摩訶不思議なパフォーマンスである。
「変面は日本のお年寄りに人気ですね。やり方を学んだら誰でもすぐできるようにはなりますが、上手くなるのは難しい。私も中国の師匠から教えてもらい訓練しました。私が日本で公演をするにあたって大事にしているのは、技の分かりやすさやお客さんとのコミュニケーションです」
そう語る張さんだが、日本で雑技団を成功させるまでには紆余曲折があった。
6歳で全寮制の雑技科に入学
張さんは、曾祖父、祖父、父も雑技俳優という雑技団一家に生まれた。中でも曾祖父の画眉張さんは中国雑技の礎を築いた1人として知られ、粛寧県にある文化広場には石像が建つ。
「歴史の流れに翻弄されながらも、おじいちゃんの代で再び雑技団を結成することができました。その後、国から認められ、海外公演や国から依頼された仕事も増えました。今でも私の親戚やいとこたちは、中国で雑技団をやっています」
張さん自身が雑技の世界に飛び込んだのは、わずか6歳の頃だった。
「3歳くらいから家で勝手に逆立ちをしていたみたいですけど、本格的に修行を始めたのは雑技科に入学した6歳の頃でした。最初の数年はとにかく柔軟。次は逆立ちやバク転を習得するのですが、だんだんと人それぞれ得意技が見つかってくる。私は体重が軽かったので、人の頭や椅子の上にのぼって逆立ちする技が得意でした」
学校は全寮制で、卒業するのは13歳の頃だ。
「卒業後、私は河北省の雑技団に所属しました。当時はアメリカやヨーロッパで雑技の人気が高く、よく海外公演に行っていました。だいたい1カ月くらいかけて各地を回りながら公演するんです。海外に行けるのは本当に楽しかったですけど、公演ばかりしていると基礎的な技術が衰えてしまうので、中国に帰ってトレーニングを積み、また国内や海外の公演に出るといった生活でした」
雑技団のメンバーの中には、スカウトされたりオーディションを受けたりして海外のサーカス団の一員になる人も多いそうだ。
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