黒木瞳が主演作「魔女の香水」で美しすぎるグレイヘアに 「人生は、出会いとタイミング。どのタイミングで背中を押してもらえるかで、運命は変わる」

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映画監督・黒木瞳はなぜ誕生したのか?

 黒木は1985年に宝塚歌劇団を退団した。関西から上京して最初に住んだのは、モデルとなった香水店もあった渋谷だった。

「当時の渋谷は、大人の町。あの頃と今とでは驚くほど変わりましたね。パルコが閉まった後の公園通りは本当にひっそりしていましたし、西武百貨店が開く前はカラスの大群が道を占拠していました。もちろん、ハロウィンで騒ぐ人もいない。いい感じの町だったと思います」

 渋谷に住んでいた当時の黒木に、本作の、家族も財産もない恵麻(桜井日奈子)が弥生に背中を押されて夢を形にしていく姿をだぶらせ、こんな質問をしてみた。「黒木さんが背中を押してもらったと感じたのはいつですか?」と。するとこんな答えが返ってきた。

「最初に映画を監督させていただいたときです」

 黒木の初監督作品は「嫌な女」(2016年)。東日本大震災が起きたときに、改めて自分に何ができるかと考えた末にたどり着いた答えは、「お客さんに元気になってもらえる作品を届ける」というものだった。「嫌な女」の製作はその1つである。

 自分で演出することになったのは、お願いしたかった監督に断られてしまったから。しかし、周囲は“黒木瞳監督”を心配した。企画者である黒木こそ、同作の意図を一番理解していたのだが、「あなたがリスクを負うことはない」と。そんななか、1人だけ黒木の背中を押した人がいた。

「『今日と違う景色が見たかったら、一歩前に出たらいいんじゃないか』と言ってくださって。新しいステージに立てたのはその方のおかげですね」

 黒木は既に長編2本、短編2本のフィルモグラフィを持つ映画監督である。

「人生は、出会いとタイミング。どのタイミングで背中を押してもらえるかで、運命は変わる。弥生に背中を押された恵麻が飛躍できたのも、そういうことなのだと思います。いつも思うのは、たぶん人は誰かに相談する時点で、ある程度、腹を決めているのだろうということ。あと一言が欲しいだけなのでしょうね。だからもし私が相談を受けたとしたら、それを前提としてお話しすると思います」

 女性が存分に活躍できる場は、開かれているようでまだそれほどでもない。もし次なるステージに進めそうなチャンスを得た人がいるなら、背中を押せる人が押す。場とはそうすることで少しずつ開かれていくもの。この映画がそう語っているような気がした。黒木瞳、宮武由衣監督それぞれが、そうして歩みを進めてきたように。

関口裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ライター、編集者。1990年、株式会社キネマ旬報社に入社。00年、取締役編集長に就任。07年からは、米エンタテインメント業界紙「VARIETY」の日本版編集長に就任。19年からはフリーに。主に映画関係の編集と、評論、コラム、インタビュー、記事を執筆。趣味は、落語、歌舞伎、江戸文化。

デイリー新潮編集部

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