昭和の伝説的“遊び人グループ”「野獣会」とは何だったのか? 元メンバー・田辺靖雄が明かす「大原麗子デビュー秘話」と「後見人」
「どうしているか、誰も知らない」
しかし、野獣会は数年で解散した。
井上の著書によると理由は「秋本さんが体調を崩したこともあって自然消滅した」ということだ。秋本まさみという人物が切り盛りしていたからこそ、野獣会は存続できていたということなのか。その後の秋本の行方は杳(よう)としてわからないそうだ。
「何年もしてから井上順と話した時、連絡が取れないと言っていました。どうしているか、誰も知らないんですよ」
渡辺プロにも秋本の消息について問い合わせてみた。するとこちらも、
「昔を知る元社員に聞いてみましたが、わかる者がいませんでした」
ということだった。
大原麗子デビューの秘話
ところで今回の聞き取りの過程で、田辺から貴重な証言が得られた。それは今なおファン多き昭和の名女優、大原麗子のデビューに関するものだ。
実は、大原の野獣界入り、ひいては芸能界入りの契機を作ったのは田辺だった。
「(秋本と田辺が共演した前述の映画)『高校生と女教師 非情の青春』の撮影の時、僕がジャズ喫茶で歌うシーンがあってね。お客さん役のエキストラの一人に彼女がいたんです。撮影中にずっとこっちを見てて、やけに目が合ったし、ウインクしてきたんですよ」
田辺が「かわいい子だな」と思っていると、
「その後の河原のロケ現場にも彼女はいた。僕が休んでいると、友だちと一緒にこっちの方に近づいてきたから、あいさつして“さっきもいたね”みたいな感じで声をかけたんです。話していたら“芸能の仕事をしたい”って言うから、“じゃあ、野獣会に入りなよ”って。それで秋本さんのところに連れて行ったんですよ」
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