昭和の伝説的“遊び人グループ”「野獣会」とは何だったのか? 元メンバー・田辺靖雄が明かす「大原麗子デビュー秘話」と「後見人」
本当に仕切っていたのは誰?
この二人がいることで、スカウト→渡辺プロ所属→映画出演・歌手デビュー・テレビ番組出演という道筋ができた。他ならぬ田辺も峰岸も渡辺プロに所属し、62年に映画「高校生と女教師 非情の青春」(東宝)で共演を果たす。
美佐氏は当時、晋氏とともに東宝の契約プロデューサーでもあり、企画を持ち込む立場だった。峰岸は同年に美佐氏がプロデューサーを務めたNHKドラマに出演したのち、63年に俳優座養成所に第16期生として入ったため渡辺プロを離れた。田辺のほうは63年に歌手デビューを飾り、すぎやまの顔が利いたテレビ界でも活躍。長らく渡辺プロに所属した。
このように近い関係にあったとはいえ、野獣会は渡辺プロに管理されていたわけでも、下部組織だったわけでもない。実際、井上は63年、野獣会にいた彼の活動ぶりを見たザ・スパイダースのリーダー・田邊昭知氏(38年生まれ)に声をかけられてメンバーに加入、スパイダクション(現在の田辺エージェンシー)の所属に。さらに大原もデビューしたが、渡辺プロに入ってはいない。この経緯についてはのちほど触れる。
では、野獣会を「本当に仕切っていた」のは誰なのか? 田辺によれば、
「秋本まさみさんです。何か書いたりしながら、映画にも出ていました」
秋本まさみ――。初耳の人がほとんどだろう。この女性が可能性ある若者たちを集め、組織していたのだ。
一体、何者なのか?
大原麗子との運命的出会い
その記録はほとんどなく、3本の映画作品に名を残している程度である。
〈肉体女優殺し 五人の犯罪者〉57年公開。新東宝配給。
〈狂熱の果て〉61年公開。倒産した新東宝の後身・大宝配給。
〈高校生と女教師 非情の青春〉先述のとおり62年公開。東宝配給。
これら3作で秋本はストリッパーや高校生を演じているが、「狂熱の果て」は秋本が原案をも手がけ、これを美佐氏が映画会社に売り込む形で世に出ることになった。
井上順は一昨年に上梓した自伝的エッセイ『グッモー!』で、秋本と野獣会についてこうつづっている。
〈野獣会には、秋本マサミさんというリーダー的存在の人がいた。女優を目指していたのかな。彼女が中心になっていろいろ活動しているうちに、渡辺プロダクションの当時副社長だった渡邊美佐さんの目に留まって、『何かあれば助けてあげるわよ』という感じでお目付け役になってもらっていた〉
田辺は子供の時分に児童劇団に所属していた。その頃からの友人に誘われて秋本と出会い、野獣会に入ることになった。
「秋本さんは、年齢は僕より三つ四つ上だったのかな。実は正確に知りません。身長は僕より少し低く、160センチないぐらい。目鼻立ちのはっきりした洋風な顔でした。人当たりが良く、僕らには優しい一方で、美佐さんやすぎやまさん相手に臆せず対等に話していました。頼りがいがあって、今でいうキャリアウーマンのような人でしたよ」
入会が決まると、メンバーの証である名刺と身分証が与えられたという。
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