昭和の伝説的“遊び人グループ”「野獣会」とは何だったのか? 元メンバー・田辺靖雄が明かす「大原麗子デビュー秘話」と「後見人」

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名称のせいで襲撃され

 先のドラマのタイトルのように「六本木野獣会」とよく表記されるが、拠点は六本木ではなく赤坂か?

「赤坂ですよ。そもそも僕らは『野獣会』とは呼んでたけど、『六本木野獣会』とは言ってなかった。六本木のはずれに現在も営業中の有名な『レストランキャンティ』(現『キャンティ飯倉片町本店』)があって、そこに集う人たちが『六本木族』と呼ばれていたから、長い年月の間に混同されちゃったんでしょうね。別に敵対し合ってたわけではなく、六本木族の人もシャンゼリゼに来て一緒に遊んでいたし、僕らも六本木の店に行くことはありました」

 ここで、ネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」の「六本木野獣会」の項目を確認してもらった。「六本木」と頭に付く点はおくとして、メンバーではない人の名前も複数見られるという。

「中尾彬は違うと思うけど、どうだったのかな? 彼と野獣会の話をしたことないね。僕はデビューが決まって早めに抜けちゃったから、その後かな。小川知子は違いますよ。ムッシュかまやつ(かまやつひろし)さん、福澤幸雄さん(レーサーでモデル)は六本木族のほうでしょう。小山道広という人は覚えてないなぁ」

 しばしばメンバーと勘違いされてきたのが加賀まりこ(43年生まれ)だ。

「彼女は野獣会ではないですね。六本木族のほうですよ。彼女はむしろ“野獣会は田舎者”みたいなこと言っていたけど、たしかに僕は世田谷で、大原麗子は赤羽。当時、世田谷は田舎扱いだったかもね」

銀座のヤクザに襲撃されたことも

 野獣会という名称から不良じみた粗野な若者たちの姿を想像しがちだが、実際には良家の子女が多かったとも。

「トン(峰岸徹)の家は日本橋浜町で料亭をやっていたし、井上順の実家は代々木公園の近くにあった『井上馬場』。父親は獣医師だったそうだよ。うち? うちの父親はNHKのアナウンサーでした」

 田辺の父親は、第1回の紅白歌合戦で総合司会を務めた田辺正晴アナである。

 ちなみに名称のイメージに惑わされたと思しき筋から、とんでもない目に遭わされたこともあったとか。

「シャンゼリゼに集まっていたところへ、銀座のヤクザが“こらしめてやる”って襲ってきたんですよ。雑誌で不良っぽく紹介されたのを見て、野獣とか名乗ってやがるし、なんなんだこいつらはって。みんな急いで逃げたんだけど、ひとり、ピアニストが捕まって丸坊主にされちゃった(笑)。彼は野獣会ではなく六本木族の人だったんだけど、彼女が野獣会にいるから来ていただけでした」

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