右利きのナダルはなぜラケットを左で持つ? 「ウィンブルドン史上最高のゲーム」の舞台裏(小林信也)

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史上最高のゲーム

 このコラムでナダルを紹介したいと強く思うきっかけがあった。ネットフリックスのドキュメンタリー「ブレイクポイント ラケットの向こうに」を見たことだ。次の王者を狙う若手選手たちを追うドキュメンタリー。舞台は昨年の全豪オープン。大会の舞台裏、ホテルの部屋にまでカメラが入り、選手たちの緊張、孤独、葛藤を生々しく伝える中で、私が最も衝撃を受けたのは、カメラの端に映るナダルのすさまじい表情だった。当時35歳。巷では峠を越したのではないかと言われるナダルの気迫に圧倒された。決勝戦の前、コートに向かう狭い通路で、ナダルは何度もジャンプし、短いダッシュを激しい勢いで繰り返す。その横顔には年老いた陰りも見えるのに、闘争心はみじんも衰えていないのだ。

 ナダルは自伝にこう書いている。

〈スポーツで成功した人たちと僕が共通しているのは、大変な負けず嫌いである点だ。少年時代、僕は負けるのが大嫌いだった。トランプでも、ガレージでのサッカーのミニゲームでも、とにかく何においても負けたらかんしゃくを起こしていた。今でもそうだ。(中略)一方、成功への願望は明らかに家族の血を受け継いだものだ。これは野望を成し遂げるには努力しなければならないという考えとも通じている〉

 ナダルが当代一の選手の仲間入りを果たしたのは、08年のウィンブルドンだ。それまで全仏ではすでに4度の優勝を飾っていたが、芝では勝てなかった。その年全仏で4連覇を飾った後、6月のアルトワ選手権で初めて芝の大会を制し、ウィンブルドンでもフルセットの末に王者フェデラーを破り念願の優勝を果たした。試合時間4時間48分は決勝史上最長。いまも「ウィンブルドン史上最高のゲーム」と賞賛される試合を制して、ナダルはクレーだけの王者でないことを証明した。その秋、北京五輪の男子シングルスでも金メダルを獲得したナダルは、まさに全盛期を迎えたと思われたかもしれない。

 それから15年経ったいまも、ナダルは頂上で輝き続けている。だが、ついに異様なまでの闘志の火を消す時が1年後と定められた。残された戦いの中で、ナダルのすさまじい闘志をこの目に焼き付けたい。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2023年6月22日号掲載

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