「自民党」分裂から30年――政権交代を二度成し遂げた「小沢一郎」の独白「自民党にいたら死ぬまで左うちわだったよ」

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日本人の多くは体制擁護派

――僕もあの時はフジテレビの政治部にいたんですけど、小沢さんの行動は、結局、経世会の分裂騒動、権力闘争で割って出たみたいに多くのメディアが取り上げましたね。

小沢:全く現実を無視した話なんだよ。もし権力闘争のというなら自民党に残ってた方がいいもの(笑)。要するにね、日本人の多くは体制擁護派なんだよ。変えることが嫌い。だから、マスコミも日ごろ反権力、反権力と言うけど、いざとなると権力側なんだよね。今なんて権力べったりでしょ。所詮、現体制を乱す奴はみんな悪人になっちゃう。個人的な政治のことで思い切って本当のことを言えば、ずっと自民党にいた方がよかった。死ぬまで左うちわだったよ、自民党にいたら。だって、あの頃は経世会でも半分は私の味方だったから、そのまま残ってて「後継は小渕(恵三)会長でいいよ」と認めて、後ろでコントロールしてね。

――キングメーカーとして(笑)。

小沢:(笑)。だから、個人的なことだけを考えるなら、自民党を出る必要なんかなかった。そこを何でみんな分からないのかなって思ってたね。権力闘争と小選挙区ということだけが取り上げられてね。

――離党して新生党を作ったメンバーは経世会の衆議院議員を中心に50人以上。彼らには何と話した?

小沢:3グループくらいに分けて、あと、個別にも話をしたな。若い人も中堅も。一人一人を呼んで話したわけではないけれど、みな気持ちは大体一緒だったから。それで、心配するなと。離党するときは政権取る時だから、必ず政権を取ってみせるからって。それでみんな納得した。頼むよという言い方はしてない。それはしてない。

――その時は、やっぱすごい決断だったんではないかと。

小沢:そりゃそうだよ。最大派閥を割っただけじゃなくて政権与党を飛び出すんだから。

――何がそうさせたのか。

小沢:やっぱり小選挙区ができる、その先に政権交代も可能だと思ったから。自民党を少数にすればできるという思いだったね。

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