父が語る、“泣き虫”の加藤未唯が失格騒動に打ち勝てた理由 「小さな頃は毎日泣いていた」

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「小さな頃は毎日泣いていた」

 そう話す父から見た幼い頃の娘はといえば、

「それこそ、小さな頃は毎日泣いてました。手がかかる、かからへんどころじゃなくて、幼稚園の入園式でも、行ってから帰るまでずーっと泣きっぱなし。すごい泣き虫やった。周囲と打ち解ければ明るい子なんですが、ひとつのことに慣れるまでが大変で、少し時間のかかる子でしたね」

 小学校2年生の時、類まれなる運動神経に驚いた担任教師からスポーツを勧められ、彼女自ら選んだのがテニスだったという。

「未唯の祖母が観戦に来た日に負けたとなれば、試合が終わって3、4時間たっても泣きやまない。周囲の期待が強いほど、よく泣いていた気がします」(同)

イギリスに入国できずに号泣

 そんな彼女が大きく成長するきっかけは、2010年のウィンブルドンジュニア選手権への出場だった。

「ロンドンまで一人で行かせたんですが、ヒースロー空港の入国審査官が私に電話をかけてきて“君はどこにいるんだ。15歳の子供を置いて何をしている”と言うのです。未唯も電話口で“入国させてくれない”と泣きじゃくっている。困ったなと思いました」(同)

 イギリスに保護者の同伴なしで未成年者が入国する場合、事前申請など手続きが必要だったのだ。

「入国審査官から“入国は非常に難しい”と言われてしまったので、私が“ウィンブルドンに出場するから、なんとかしてくれ”と頼んだところ、あちらの態度がコロッと変わりましてね。“それなら私に任せておけ”と言って、会場へのタクシーの手配まで全部やってくれたんです。とはいえ、娘も初めてのことで、ウィンブルドンに着くまで私と電話をつないだまま。“20分たってもまだ着かへん”“30分たってもまだ……”と言ってくるので、“ロンドンタクシーは紳士の塊やから心配すな”と励まし、なんとか会場に着きました」

 1ラウンドで敗退したものの、父から見た娘には明らかな変化が生じていた。

「言葉から食まで文化や環境が違う世界で、いかに勝ち続けるかをよく考えたみたいなんです。泣きじゃくった後も立ち直れる子でしたが、海外遠征は1週ごとに試合があって何日も引きずると次の試合に影響する。14歳の頃からそういうルーティンで試合していますから、メンタルの強さとかよく言われますが、さっさと切り替えて忘れる力が大事やと気付いたんです。今は娘もパリを離れてオランダの大会に臨んでいる。その後は多分イギリス、8月頃はアメリカ。私も会えるのは年に3回くらいです」

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