父が語る、“泣き虫”の加藤未唯が失格騒動に打ち勝てた理由 「小さな頃は毎日泣いていた」

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「本当に気持ちが強い子」

 元プロテニス選手の沢松奈生子氏(50)に聞くと、

「現状のテニス界では、VTR判定はラインジャッジに使われ、危険球などその他のことを判断するシステムにはなっていません。一番の問題はルールの判断基準が非常に曖昧なこと。危険な行為にペナルティーを科す場合、動画などで判断する旨をルールで明確化すれば、今回のように相手選手が執拗にクレームを言ってくることもなくなると思います」

 加藤が所属するテニスアカデミーの先輩にあたる元プロテニス選手の不田(ふだ)涼子氏(36)は、こう指摘する。

「危険行為での失格は、故意であったか、選手の態度が非難すべきものかという点が判断の分かれ道となりますが、球が当たってしまった後、加藤選手はきちんとボールガールへ謝罪しているわけで、警告が妥当だった。なかなか一日や二日で気持ちを切り替えることは難しいし、ましてや他の試合にすぐ出て結果を出すなんて大変なことなのに、混合ダブルスでは見事に優勝した。本当に気持ちが強い子なんです」

 生まれも育ちも京都という加藤が幼少期から高校卒業まで通っていた「パブリックテニス宝ヶ池」(京都市左京区)の石井知信コーチ(79)は、

「やっぱり自分の生徒のことだから憤慨しましたけど、未唯はよう我慢してやっていた。本当にすごいわ。ボールガールの子に謝った上で、“失格させろ”と審判らに迫った相手チームについても“またいい試合をしましょう”と言ったんやから」

 礼節を重んじて結果を出す。スポーツマンシップを体現するかのような選手は、いかにして誕生したのか。

「京都で娘を育ててよかった」

 江戸時代に創業した京都市内でも指折りの造園会社「植彌(うえや)加藤造園」会長で、業界団体「京都造園建設業協会」の会長も務める父・大貴さんに改めて話を聞くと、

「私はテニスをやりませんが、小さな頃からお寺などに娘を連れて行ってよく言い聞かせたのは、“このお庭が素晴らしいと言われるけど、それを造ってきたのは職人さんたち。何百年前からある庭園は、代々管理してきた人々の技術が素晴らしいから残ってきた”ということ。そして身近で困っている人がいれば助ける。京都で生活する上で欠かせない周囲への心配りを含め娘に教えてきました。テニスでも、どんな国の人が相手でも、試合が終われば友でありライバルだから礼を尽くせと話していた。今回の件に関係あったかは分からないですけど、この京都で娘を育ててよかったと思っています」

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