「普通の子やけえ…」自衛隊銃乱射、容疑者の父が語った胸の内 複雑な家庭環境と、友人に語っていた「海外で銃を撃ちたい」
中学校でほぼ不登校に
6月14日朝に岐阜市内の陸上自衛隊「日野基本射撃場」で、18歳の自衛官候補生の男・Aが小銃を乱射し、3人の隊員が撃たれ2人が死亡した事件。Aが育った複雑な家庭環境、そして父が取材に語った胸の内とは――。
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【写真を見る】Aの家族が暮らす実家 父は「普通の子やけえ」とコメント
一家の原点は岐阜市内の岐阜市中央卸売市場に近い、今は取り壊されたアパートだ。当時の大家が振り返る。
「あの大家族の家ね。いつもおむつが窓際に干してあってね。家賃は3万円で安かったのに、最後は家賃を支払わず、家財道具もほったらかしにして、あいさつもなく出て行きましたよ」
一家は困窮。両親はAを2歳上の兄とともに岐阜県瑞穂市の児童養護施設に預けた。Aは施設から幼稚園と小学校に通った。その後、現在も一家が居を構える安八(あんぱち)郡の貸家に兄とともに移り、子どもたちは再び、親元で過ごすようになったのだ。
Aは小学校ではコマ遊びなどをする「伝統遊びクラブ」、中学では「美術部」に所属したが、放課後はもっぱらゲームに時間を費やしていたという。小~中学校時代の元同級生いわく、
「中学に入って接しにくい雰囲気になりました。髪が長くて、前髪が目にかかるようになって……。喜怒哀楽がない感じ。友達の間でも“大丈夫か”みたいな話になっていました」
ほどなく不登校となり、ついに完全に姿を完全に消すことに。
「彼は中2の頃に突然転校しました。なぜ、どこに転校したのか。先生からは特に何も説明されませんでした」(同)
里親に事件について聞くと…
もっとも、教師には「転校理由」を生徒たちに公にできないワケがあった。さる捜査関係者が声をひそめて言う。
「Aは素行に問題があり、中学の後半を岐阜県関市の児童心理療育施設で過ごしています。その施設には地元の公立中学の分教室があり、彼は施設の中で授業を受けていた」
児童心理療育施設とは、家庭環境に問題があるなどの理由で、社会生活への適応が困難となった児童を入所させる施設だ。Aは施設を退所後、岐阜県羽島市の県立高校に進む。ただし、実家からは通わずに複数の里親の下を転々とする生活を送るようになった。里親の一人に連絡をとると、
「大きな事件を起こしてショックですし、世間の皆さんには申し訳ない気持ちです。いろいろ、思うところはあるのですが……」
と言って話を打ち切った。
続けて高校時代の同級生が回想するには、
「彼は“2、3回、親が変わった”と話していました。親代わりの里親には“よくしてもらっている”と言い、うまくいっている様子でした。一方で実家との関係も悪くなかったみたいで、ちょくちょく実家にも帰っていましたよ」
三つのアルバイト
里親の下での高校生活はそれなりに充実したものだったようで、
「彼は放送部の所属で、お昼休みに校内放送を流していました。いろいろ話した後に音楽をかけるのですが、『ブルーハーツ』などのバンドの曲をよく流していました。3年生の時には部長として、部員をまとめる立場でもありました」(高校時代の友人)
続けてこんな話も。
「彼は高校を卒業するまでにアルバイトを三つしています。仕事内容は、一つ目はドラッグストアの倉庫での作業。二つ目はラーメン店のキッチンでの調理補助。三つ目は倉庫での洋服の箱詰めでした。どのバイトも続けたのは半年くらい。週3日程度のシフトに入っていたと思います」
稼いだ金は趣味に費やしていたという。
「自転車が趣味で、ロードバイクに乗っていました。ゲームも好きで、ソニーの『プレイステーション4』も買っていた。あとは友達とカラオケに行ったり、ご飯を食べに行ったりしていました」
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