【女子レスリング】金城梨紗子の五輪出場は絶望的 「いつか、ママは頑張ってたんだねと思ってもらえれば嬉しい」

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「これ以上できたはずという気持ちはない」

 桜井に完敗してマットを降りた梨紗子は、妹の友香子やコーチと歩きながら笑みもこぼしていた。会見でも「つぐみちゃん(桜井)のほうが強かった」と、あまり悔しさが現れている様子ではない。「やっぱりレスリングより子供が大事なので」とも話した。至極、当然のことなのだが、それを口にするあたり、パリ五輪への執着は弱まっている気がした。

 囲み取材で筆者は「試合後の表情からの印象ですが、負けて悔しいという気持ちが少なくなったということは?」と単刀直入に訊いた。伊調馨(39=ALSOK)に敗れて東京五輪が危なくなった時に見た茫然自失の青ざめた表情と、今回の爽やかな表情があまりにも違ったからだ。

 梨紗子は「うーん。(力を)出しきれないで終わるともっとやれたのにとか思うし、練習ではうまくいっていたのにとかなら悔しくなるでしょうけど。子供も生まれて毎日毎日を一生懸命にやってきた。これ以上できたはずという気持ちはない。つぐみちゃんのほうが強かった。けど、私が弱いとも思わない。でも、世代交代というか、代謝というかは通常のことなのでは」と答えた。どこか燃え尽きてしまったような印象もあった。

 これには東京五輪が1年延期された影響を感じる。

 スポンサーのこともあってか、柔道でも「パリを目指す」と宣言していた東京五輪出場組の多くが、国内で敗けている。「パリを目指す」とは言わなかったが、まだまだ無敵と思われたあの大野翔平(31=旭化成)ですら3連覇を目指さない。コロナで延期された東京五輪は通常の五輪以上の負担があったはずだ。

 どんな大選手とて「悔しさ」が薄くなれば勝てない。球技などと違い、敗けたほうがKO(ボクシング)やフォール負け(レスリング)、締め技などで「参った」をさせられる(柔道)など、無様な格好を晒すことも多い格闘技は特にそうである。東京五輪に出られず悔しい思いをし、「何が何でもパリには出る」と死に物狂いの選手と、悲願を成就してしまった選手とでは意気込みが違っても無理はない。

 梨紗子は「物心っていつごろからつくのかな。子供はわかっていないけど、敗けても今日の試合を会場で見てもらえた。いつか、ママは頑張ってたんだねと思ってもらえれば嬉しい」と子供への愛情を見せた。

 さらに、「出産後に東京五輪で金メダルを取った柔道のフランス選手(クラリス・アグベニュー[30])ってかっこいい、憧れです」などと相好を崩していた。「子供を産んでもオリンピックなどで活躍すれば、女性選手の励みになる、といった周囲の期待にも応えたかった」とも話したが、その柔和な顔からはかつて伊調と死闘を演じた時の凄みと迫力は感じられなかった。

「ママでも金」と言えば柔道の“柔ちゃん”こと谷(旧姓・田村)亮子(47)を思い出す。シドニーとアテネの両五輪を連覇した後に出産。北京五輪に出場したが、3位にとどまった。当時、谷は国内では福見友子(37)に敗れていたが、「実績重視」などを理由に代表に選ばれたことに批判が集まった。その点、レスリングは、伊調、吉田、梨紗子らの実績者も特別扱いされることのない、明確な選考基準が示されている。

妹の友香子もパリ五輪は厳しく

 16日には、東京五輪より階級を上げて68キロ級に登場した妹の友香子も決勝で森川美和(23=ALSOK)に敗北した。森川は長く土性沙羅(28=リオデジャネイロ五輪金)の後塵を拝して五輪に出られなかったが、ようやく巡ってきた好機。自分の階級に参入してきた金メダリストに敗れるわけにいかないと気迫に満ちていた。

 友香子はプレーオフの出場資格も取れず、状況は姉以上に厳しい。東京五輪の後、腰痛や怪我に苦しみ、引退も考えたそうで、「ずっと逃げたくて、レスリングを辞めてどこかに行ってしまいたいと思っていた。振り返ればよくここまで来た」と話した。

 それでも「今回は結果よりもやり切ることがテーマだったので、達成できたかな」と気を取り直し、大会中は姉のサポートに徹した。階級を上げ一段と大きくなって登場するのかと思ったが、体重は63キロ前後で臨んでいた。準決勝では72キロ級の天皇杯王者だった古市雅子(26=自衛隊)に勝利し、階級アップに手応えは感じたようだ。「パリ五輪は難しいけど、新たな目標を見つけたい」とレスリングを続ける意思を示した。

 オリンピックの女子レスリングは、4連覇の伊調馨、3連覇の吉田沙保里という超人的な選手が現れてしまい、「また誰か連覇くらいするんだろう」と期待値のハードルが高くなってしまった。ある意味、不幸かもしれない。

 期待の筆頭が2連覇中の梨紗子である。女子よりも歴史が長い男子レスリングを紐解いても、オリンピックを連覇したのは1964年の東京五輪と1968年のメキシコ五輪のフリースタイル57キロ級を制した上武洋次郎(80)だけである。当然だが、連覇は簡単なことではない。

 大会最終日にそんなことを梨紗子に向けると、彼女は「連覇の本当の凄みは現場の人しかわからない。女子は国内で勝てば五輪に直結する。(五輪)金メダリストは勝って当たり前みたいに思われるけど、(須崎)優衣ちゃん(23=50キロ級)は勝ったけど、友香子も怪我したり階級変更もあったりで負けちゃった。(志土地)真優(25=53キロ級・至学館大の後輩)も若いのに、もっと若い(藤波)朱理ちゃん(19)が出てきて負けてしまったし……」などと金メダリストの苦難も話してくれた。
(敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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