邪馬台国“九州説”論者も冷ややかな「吉野ヶ里遺跡」調査 「あの規模の石棺はざらにある」

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 女王・卑弥呼が治めたとされる、かのクニがどこにあったかをめぐる邪馬台国論争。昨今始まった吉野ヶ里遺跡での調査について、メディアはこの論争と結び付け、あたかも歴史的発見だとばかり、大々的に報じるのだが――。

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「これほど調査開始前から“邪馬台国に関係するものが出るかも”と喧伝されている事例は知りませんね」

 とは、奈良県桜井市にある市立埋蔵文化財センターの橋本輝彦所長である。

 今年4月に佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発掘された石棺の調査が始まったのは6月5日。これまで未着手だった“謎のエリア”から発掘されたその石棺のフタには意味深長な×印がつき、石棺自体には赤い顔料のような着色があったりと、要は有力者の墓であることが示唆されているのだ。

 地元メディアはこれを〈邪馬台国論争に決着がつくのでしょうか?〉と紹介し、山口祥義佐賀県知事は会見で〈われわれは非常に興奮してときめいていて、気持ちが高ぶっています〉と、何やら色めきたっている。

 さらには全国メディアまでも、各紙各局が邪馬台国の可能性をちらつかせる惹句の大盤振る舞い。特にテレビ朝日の力の入れようは突出しており、

〈邪馬台国時代の墓“特別な人”世紀の大発見 期待高まる〉(6月5日「グッド!モーニング」)

〈邪馬台国につながる世紀の発見?〉(同日「報道ステーション」)

 というテロップが入るものだから、視聴者もつい手に汗を握り、途方もない歴史的発見の一歩手前にいるような気がしてしまうのだ。

「あの規模の石棺はざらにある」

 しかし、その「報道ステーション」にも出演した先の橋本所長に聞くと、

「あの規模の石棺はざらにあります。それなりに高貴な人の墓に赤い顔料、水銀朱を塗ることは珍しくなく、今でいえば市町村の議員ぐらいであれば塗られることがあるのです」

 と評し、国立歴史民俗博物館名誉教授の白石太一郎氏も、

「検討すること自体は大いに結構です。ただ、魏の皇帝が卑弥呼に贈ったとされる“親魏倭王”の金印や、前方後円墳が見つかれば話は別ですが、奈良の纏向(まきむく)遺跡における土器や箸墓(はしはか)古墳のような、邪馬台国との関係を積極的に示す証拠は見当たらないと思います」

 と懐疑的なのだ。もっとも、お二人は知られた“畿内説”論者。聞きようによっては降って湧いた吉野ヶ里フィーバーへのねたみと受け取る向きもあろうか。

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