藤波朱理が吉田沙保里の連勝記録を抜く 敗れた東京五輪王者・志土地真優の胸の内は?

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もし東京五輪が延期されなかったら?

 東京五輪で志土地は、当時婚約中だった翔太コーチが声を枯らす中、決勝で劇的な優勝を遂げて日本中を感動させた。だがその後、競技を続けるかどうか悩んでいたという。しばらく実戦から離れた間に彗星のように登場し、世界王者になったのが藤波だった。五輪金メダルの夢を果たし、引導を渡してもよかった。だが、格闘技競技者の血が騒ぐ。

 至学館大学の主将時代は、監督のパワハラ騒動で動揺する選手をまとめるのにも苦労した。さらに、学内恋愛で翔太コーチが学外に出ざるをえなくなるなど、心労は人一倍多かった。ここまで2人でそれを乗り越えてきた。

 そんな中でも周囲には「彼女(藤波)が出てこなかったら、正直、パリに向けてここまでモチベーションを高く維持できなかった」と打ち明けていた。

 今大会もっとも注目されたカードゆえ、ファンも報道陣も決勝での激突を望んだ。しかし、志土地は藤波と対戦するブロックで早く当たることを望んでいた。「間違いなく対戦したい」という気持ちからだろうが、改めて筆者が理由を訊ねると「世界選手権でも早い段階で北朝鮮などの強い選手と当たって力を出したほうが決勝でよかったことなんかもあるので」と打ち明けた。

 3位を決めた後の会見では「藤波選手という強い選手と戦ってパリを目指すための調整をしてきたので、悔しかったけど、やりきったなという達成感はあった」などと笑顔で語っていた。どこか張りつめていたものがふっ切れていたように見えた。

 藤波が9月のベオグラードで3位に入れないことは考えにくいが、彼女は連覇が期待された昨年の世界選手権には直前の怪我で出場できなかった。父の俊一さんも「とにかく怪我だけはしないでほしい。あんまりでかい選手と練習やるなとか言ってますよ」と話す。

 志土地を再び駆り立てたのは確かに藤波の存在だったが、東京五輪がコロナで延期されたため次の五輪までが3年と短かかったことも引退を思いとどまったことに関係するのではないか。アスリートにとって4年と3年ではかなり違うはずだ。3年だとしばらくすると早くも次の五輪の事実上の予選も始まってしまう。

「東京五輪が1年延長されず実施されていたら、この場に居ましたか?」と筆者は聞いてみた。志土地は「東京五輪が終わって2日後にはパリを目指して練習を始めました。でも4年あったらどうだったのか。まだフィジカル面でも精神面でもできると思っていたので目指そうとしたかもしれないし。でも4年だったらどうだったかな。私は子供が好きなので、子供を作ってからまた目指そうと思ったのかどうか……それはちょっとわかりませんね」。素敵な笑顔だった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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