高倉健は「自分も特攻隊に…」 鶴田浩二、松方弘樹、渡瀬恒彦…中島貞夫監督が語っていた愛すべき俳優たちの実像
スタントマンを頑なに拒んだ渡瀬恒彦さん
渡瀬恒彦さんの東映時代の代表作である「狂った野獣」(1976年)も中島監督の作品だ。バスジャックを描いた作品で、渡瀬さんは犯人からバスのハンドルを奪う元カーレーサーを演じた。バスが横転するシーンが見せ場の1つだった。
「恒さんには『スタントマンを使えよ』と強く言ったのに、いつの間にか大型免許を取り、自分で運転すると言って聞かなかった。そういう人なんです。ほかの作品では飛んでいるヘリコプターにぶら下がった」(中島監督)
渡瀬さんは、危険なことを人に任せてしまうのは卑怯だと考えていた。
「横転のシーンでは、共演したピラニア軍団の面々が青ざめていましたよ。軍団は恒さんを兄貴分と仰いでいたので、自分たちだけスタントマンに代わってもらうわけにはいかない」(中島監督)
渡瀬さんは主演俳優ながら、ピラニア軍団とばかり付き合っていた。アンチエリートだった。
中島監督は菅原文太さんとも親しかった。
「文ちゃんは友情に厚い男で、1970年代に僕が東映の外でも映画を撮るために会社をつくると、役員になってくれた。僕が小説の映画化権を買う時には資金を貸してくれました」(中島監督)
その小説とは、三島由紀夫らが評価した幻想的小説の傑作『家畜人ヤプー』(沼正三)である。誰もが知る小説ながら、映像化の難しさから、1度も映画やドラマになっていない。中島監督も最終的には断念した。
中島監督と文太さんの作品というと、すぐに思い浮かぶのは「現代やくざ 血桜三兄弟」(1971年)と「懲役太郎 まむしの兄弟」(同)。文太さんは前者で大組織を恐れないヤクザを、後者でルール無用のアウトローを演じた。この2作品の成功が、深作欣二監督の「仁義なき戦い」(1973年)での文太さんの起用に結び付いた。
中島監督と文太さんは「木枯し紋次郎」(1972年)も撮っている。文太さんが紋次郎を演じた。ドラマでは中村敦夫(83)、岩城滉一(72)、江口洋介(55)が紋次郎を演じたが、中島監督は強い口調でこう言い切った。
「文ちゃんの紋次郎は誰にも負けていない」(中島監督)
中島監督は最後まで映画と俳優たちを愛する人だった。