10代で香港に飛び出し、働きながら旅行… 斎藤工が『深夜特急』に導かれて香港で見つけたものとは?  沢木耕太郎×斎藤工

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タイで感じた「不自由さ」

斎藤 僕は高校を卒業した後に、今度はもっと長い期間の旅に出たんです。でも、究極の自由を手に入れられると期待して日本を再び飛び出し、最初にタイに行ってみたら、感じたのは逆に不自由さでした。高校生でもないし、進学をしなかったので大学生でもない。自分を縛るものが何もなく、自由すぎて不自由だった。

沢木 よく分かる気がする。

斎藤 実はいまも似たようなことを感じています。僕の仕事は非常にランダムで、サラリーマンの方のように決まったサイクルがあるわけでもなく、自由に見える。でも、同級生の社会人の仲間に会うと、彼らは平日しっかりと勤務して週末の休みをどう味わうかという自由を持っている感じがして、うらやましく思えるんです。一見、自由に映る僕のほうが、日常からの解放が曖昧な分、自由を満喫できずに不自由なのではないかと。日常の必然と向き合いながら、偶然との出会いという自分なりの自由をどう手に入れるか。『深夜特急』を読み直しながら、そう考えているところです。

「オン・ザ・ロード」という言葉を足した理由

沢木 偶然というものに押しつぶされるか、それとも柔らかく対応できるか。結局それはその人の身の丈によると思う。身の丈が高ければ思いもよらない偶然に柔らかく対応できる。そういう自分を作るためには、やっぱり本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、スポーツをして身の丈を高くするしかない。そして旅に出て、外国の人たちと触れ合うことで、自分の身の丈がどれくらいなのかを測ることができる。そのためにも、やっぱり旅をしてほしい。

斎藤 朗読番組「深夜特急 オン・ザ・ロード」は、途中乗車も途中下車も自由なので、まずは気軽に音の旅を楽しんでもらえればと考えているんですが、原作にはない「オン・ザ・ロード」という言葉を加えたのは沢木さんの案だったんですか?

沢木 せっかくだから『深夜特急』だけじゃ何だかつまらないと思って(笑)。アメリカのジャック・ケルアックという作家が書いた『オン・ザ・ロード』という小説があって、日本では『路上』と訳されています。だけど、読んでみると「路上」ではなく「途上」に近いんじゃないかと感じた。オン・ザ・ロードとは途上にあること。つまり、「レッツ・ゴー」、「さあ、行こうぜ」という意味を含んでいるともいえる。

斎藤 「深夜特急 オン・ザ・ロード」は、「深夜特急 さあ、行こう!」。

沢木 この前、野球のWBCで、大谷翔平選手が試合前の円陣で「さあ、行こう!」って言っていたけど、あれと同じで、斎藤さんが毎晩、「これから深夜特急に飛び乗って、さあ、行こう!」と呼びかけてくれたら素敵だなと思って、オン・ザ・ロードとつけてみたんです。

斎藤 これからはそのつもりで番組名を言わせていただきます。「ここではないどこかへ一歩動いてみよう」という意味を込めて。僕自身、コロナ禍になって以降、海外は香港とハワイの映画祭にしか行けていないので。

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