10代で香港に飛び出し、働きながら旅行… 斎藤工が『深夜特急』に導かれて香港で見つけたものとは?  沢木耕太郎×斎藤工

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10代で香港に

 旅文学の傑作である沢木耕太郎さん(75)の『深夜特急』(新潮文庫刊)が今ふたたび脚光を浴びている。俳優の斎藤工さん(41)が全文を朗読するというラジオ番組『深夜特急 オン・ザ・ロード』(TBSラジオで放送中)によって、新たな息吹が吹き込まれつつあるのだ。この作品を「バイブル」のように読んできたという斎藤さんと沢木さんが語り合った(本記事はTBS Podcastで公開された対談を再構成したものです)。

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斎藤 〈ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ〉。それは僕にとって「着火」に近い体験でした。10代の頃に『深夜特急』のこの冒頭の1行に触れた瞬間、自分の中の漠然とした恐れとか、不安が吹き飛んで、いま住んでいる場所から出ていく、重い腰を上げるきっかけになったんです。

沢木 それでいきなり斎藤さんは香港に行ったんですよね。その時、いくつだったんですか?

斎藤 17歳か18歳だったと思います。

沢木 ひとりで行ったの?

斎藤 はい、『深夜特急』を片手に1カ月間ほど。読み終える頃には日本にいなかったというくらい、〈もうぐずぐずしてはいられない〉と感じたんです。

沢木 まだ少年ともいえる年齢だったのに、親御さんはよく黙って行かせてくれましたね。心配しませんでしたか?

斎藤 全く。両親も似たような学生時代を過ごしていたらしく、応援してくれました。

「香港の街歩き」の楽しさを日本で最初に発見

沢木 で、行ってみてどうだったんですか? 香港という街に失望したのか、それとも「うわっ、やっぱり面白い」と感じたのか。

斎藤 それが……。

――『深夜特急』は1986年に単行本版の「第一便」と「第二便」が発売されて以来、総発行部数約600万部を記録、バックパッカーのバイブルとして読み継がれてきた。旅から多くを得てきたという二人の対談は、ポスト・コロナの時代の新しい「旅論」になった――

沢木 僕が『深夜特急』の旅をしたのは74年、75年あたりで、その始まりも香港でした。香港での旅を初めて書いた原稿が「月刊プレイボーイ」に掲載されたのは斎藤さんが生まれる前の年の80年で、自分で言うのも何だか偉そうな感じなんだけど、その原稿はある意味で画期的だった。それまでもさまざまな旅のガイドブックは出ていました。でも、有名観光地に行くとか、美術館巡りをするとか、おいしいものを食べるとか、そういうことを紹介したものしかなかった。そこで僕は「香港の街歩き」がこんなに楽しいんだということを、多分、日本で最初に発見し、文章にしたんじゃないかと思うんです。

斎藤 その『深夜特急』にスイッチを押された状態だったので、「いますぐ香港に行くんだ!」というのは僕にとって必然でした。ちょうど香港がイギリスから中国に返還された時期でもありましたし。当時すでに始めていたモデル業で得た微々たる給料と、アルバイトしてためたお金と、あとは親に借金して、それを握りしめて飛び立った。とにかく香港に行かなければと、まさに火がついた状態だったんです。

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