「何よりも選手の気持ちを優先」「プライドを傷つけないよう部屋に出向いて対話」 森保監督の監督術をコーチ陣が明かす

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自分のミスが絡んで負けたら涙

 入社は横内が1986年、森保が87年。高校を卒業してマツダに入った森保は決してエリートではなかった。同期入社の中で、森保だけが子会社採用にされた。そこからのスタートだった。

 森保も横内もすぐは試合に出られなかった。下積みの時代を共に過ごした。MF森保から左サイドの横内がボールをもらって攻撃につなげる、そういう関係でもあった。

「森保さんは負けず嫌いでした。自分のミスが絡んで負けたら涙するくらいにね。ポジション的にペアを組むことが多かったので、すごく話もしました」

 森保、横内にとって、若い時代をマツダの選手として過ごした経験が、後の指導者人生の大きな糧になっていると横内が語る。当時マツダの監督は、多くの人材を育て尊敬を集める今西和男(82)だった。

「今西さんは、現役を退いた後、社会人としての人生を考えて僕たちを鍛えてくれたのだと思います。遠征から帰ると必ずレポートを書かされて、厳しい指導を受けました。サッカーの練習より、そっちの方が大変でした」

 考える力、言葉にする力、全体に目を配る習慣が知らず知らず培われた。

オフトの予言

 上野も現役生活の終盤、マツダをルーツに持つサンフレッチェ広島で過ごした。

「32歳になった時、2000年にもプレーした経験のある広島を選んだのは、引退後を考えたからです。広島は指導者育成に定評がありましたから、指導者の勉強もできたらいいなと」

 その時コーチだった森保との縁もあって、上野はカタール大会に呼ばれた。

 森保、横内がマツダに入った頃、今西監督の下でコーチを務めていたのは、後に日本代表監督になるハンス・オフトだ。そのオフトが、「マツダの選手の中で将来プロの指導者になれる素質の持ち主」と言って名前を挙げたのが、前川和也(元日本代表GK)と、森保、横内の二人だった。

「後で今西さんから聞きました。そのころ森保さんも僕もまだ試合にも出ていなかったのに、どこを見てくれていたのでしょう」

 横内が苦笑いする。控え選手なのにオフトに才能を感じさせていた森保と横内が、三十数年後に日本代表を劇的勝利に導いた……。

 頑固といえば、9月からはっきりプレーモデルを決め、選手たちと意識を根強く共有した意志の強さは、そこに通じているかもしれない。何しろ日本代表はこれまでW杯の舞台で逆転勝ちをした経験がない。統計的には、「先取点を取られた時点で負け、よくて引き分け」ともいえるのだ。それなのに、「後半勝負で勝てる」と選手全員に思い込ませる説得力は、並大抵のものではない。もちろんそれは、監督のカリスマ性というより、選手たちが持つ自信と実力、プライドを触発したたまものでもあるだろう。

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