「新庄剛志」は逆を突いた!“超極端な守備シフト”を見事に破った名選手

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野村監督が披露した“新庄シフト”

 強打者封じやピンチを逃れる目的から野手が守備位置を変えるシフト。MLBでは今季から塁間3人、外野4人のような「極端な守備隊形」は禁止になったが、NPBでもシフトは盛んに行われており、古くは王貞治シフト、近年では、オリックス時代の吉田正尚シフトが知られている。うまくハマれば、「奇策が奏功」とたたえられるシフトも、裏目に出ると、逆に相手を勢いづかせてしまう。そんな“諸刃の剣”とも言える作戦が失敗に帰した例を紹介する。【久保田龍雄/ライター】

 まずは南海プレーイングマネージャー時代からシフトを多用していた野村克也監督がヤクルト時代に披露したのが、“新庄シフト”である。

 1993年8月21日の阪神戦、1回無死一塁で3番・新庄剛志が打席に立つと、ヤクルト内野陣は、三遊間にセカンド・ハドラー、サード・ハウエル、ショート・池山隆寛の3人が入る変則シフトを見せた。左に引っ張る打球が多い新庄への対策からだった。最初は新庄も戸惑い、1打席目は捕邪飛、2打席目は遊ゴロ、5回無死一塁の3打席目も投ゴロと、すっかり術中にはまっていた。

 だが、4対5の9回2死、気持ちを切り替えた新庄は「あそこがポッカリ空いてましたからね」と無人の二塁方向に狙い打ち。二塁手が定位置にいれば、二ゴロでゲームセットになるところだったのに、シフトの逆をつく安打となった。

 そして、次打者・オマリーの右翼線安打で二塁を回った新庄は「二塁手が中継のボールを受けたところまでは見えた。でも、ホームに投げてくる気配がなかったので、瞬間的に判断して走りました」と三塁コーチの制止を振り切り、一気に生還した。

 土壇場の同点劇で勢いづいた阪神は、延長10回に2点を勝ち越し、7対5で勝利。ID野球の奇策も、“宇宙人”には通用しなかった。

 ちなみに同年のヤクルトは、9月18、19日の巨人戦でも、ルーキーながら3番に抜擢された松井秀喜に、一、二塁間を3人で守る“松井シフト”で対抗。1日目は成功したが、2日目にがら空きの三遊間を狙い打たれ、19歳の新人に一本取られている。

「何としてもワンちゃんに田淵を逆転してもらいたい」

 次は1975年、本塁打王を争うライバルの量産ペースに歯止めをかけようと、長嶋茂雄監督1年目の巨人が敷いたのが、“田淵シフト”である。

 同年の巨人は14年連続キングがかかった王貞治がケガで出遅れた。8月12日の阪神との直接対決を前に、王は33本塁打の田淵幸一に11本差もつけられていた。

 だが、長嶋監督は「何としてもワンちゃんに田淵を逆転してもらいたい。いや、できると本気で思っているんだ」とあきらめていなかった。そして、同日の直接対決で、須藤豊コーチ考案の田淵シフトがお目見えする。

 左方向への長打が多い田淵に対して、レフト・淡口憲治が左翼線ギリギリを守り、センター・柴田勲がレフト定位置、ライト・柳田俊郎が右中間へ。須藤コーチは「心理的にプレッシャーをかけようという作戦ですよ」と解説した。

 しかし、奇策は裏目に出る。3対3の5回2死、田淵は横山忠夫の外角フォークにバットを投げ出すようにして右翼の定位置上空に飛球を打ち上げた。

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