和田毅vs石川雅規、松坂大輔vs村田修一 高校以来の“因縁の対決”は交流戦でどう実現したのか
「今度は石川さんに投げ勝ちたい」
現在開催中のセパ交流戦も今年で19年目。今でこそリーグを超えたライバル対決も状況に応じて見られるようになったが、導入以前は、公式戦で見ることができなかった。2005年、交流戦導入が決まった直後、筆者は“松坂世代”の和田毅(ソフトバンク)と杉内俊哉(当時・ソフトバンク)、村田修一(当時・横浜)に「交流戦で対決したいライバル」というテーマで取材する機会があった。彼らが誰との対決を望み、それがいつ実現したのか、プレイバックしてみよう。【久保田龍雄/ライター】
まず、石川雅規(ヤクルト)との高校時代以来の再対決を楽しみにしていたのが、当時プロ3年目の和田だった。1997年夏の甲子園、浜田高の2年生左腕・和田は、1回戦で秋田商の左腕・石川と投げ合った。8回まで3対1とリード。勝利は目前だった。
だが、9回に連打で無死一、二塁のピンチを招くと、ダブル悪送球で、あっという間に同点。なおも無死三塁とサヨナラのピンチに、浜田高は敬遠満塁策を取ったが、和田は打者・石川に痛恨の押し出し四球を与え、悪夢の逆転サヨナラ負けに泣いた。その後、両者は大学時代もプロ入り後も対決の機会がないまま、夏の甲子園から8年が経過した。
初めての交流戦を前に和田は「(ヤクルトの本拠地)神宮は僕が(早稲田大時代に)プロという次の舞台を目標にしながら成長していった場所でもあり、あそこで石川さんと投げ合えたら最高です。高校時代の雪辱にはそうこだわっていませんが、今度は石川さんに投げ勝ちたいです」と誓った。
甲子園以来8年ぶりの左腕対決
そんな思いの半分が天に通じたかのように同年6月11日、早くも福岡ヤフードームで両者の再対決が実現した。
甲子園以来8年ぶりの左腕対決は、投手戦の予想とは裏腹に、序盤で決着を見る。初回に松中信彦のタイムリーで先制したソフトバンクは、3回にもカブレラが満塁弾を放つなど、石川を打ち崩して強力援護。和田は被安打9ながら要所を締めて3失点に抑え、11奪三振、公式戦では自身初の無四球完投で7勝目を挙げた。
石川に投げ勝つという目標を達成した和田は「リベンジ? そうなりましたね」と言いながらも、「今日は野手のファインプレーや効果的な得点に助けられました」と攻守にわたって盛り立ててくれたナインに感謝した。
一方、5回途中7失点KOの石川は試合後、プロ4年目で初の2軍落ちと明暗を分けた。和田、石川ともに40歳を過ぎた今もチームの主力として現役を続けているのも、不思議な因縁と言えるだろう。
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