【藤圭子】突然の死から10年 「暗いさみしいうたが好きです」デビュー当時、記者にこう答えた彼女の心の闇に迫る

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マンションの13階から

 私は夏の高校野球の決勝大会を取材するため阪神甲子園球場にいた。当時、大阪本社の編集委員だったこともあり、決勝の模様をコラムで書こうと思ったのである。

 決勝が始まるのは午後からということもあり、私が球場に着いたのは正午ごろだった。どこまでも抜けるような夏の青空。舞い上がる入道雲。満員のスタンド。「青春だなあ」としみじみ思いながら応援席を見渡し、決勝戦ならではの雰囲気を味わっていたら、「藤圭子さん、自殺か」というニュースが入った。

「えっ? 本当か?」

 青春を謳歌する若者たちの姿と62年の生涯を自殺という手段で幕を下ろした昭和の大スター。そのあまりにもかけ離れた現実に、目の前が一瞬クラクラしたのを覚えている。

 気を取り直し、甲子園球場のスタンドから本社のデスク席に電話をすると、たしかに藤さんの訃報が入っているという。

「これは野球どころではない。会社に戻らないと」

 甲子園のざわめきを背に、私は急いで球場を去り、大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社に向かった。もうすでに夕刊は刷り上がっており、藤さんの訃報が本人の顔写真入りで社会面に掲載されていた。

 記事はこんな感じである。

《歌手・藤圭子さん死去 自殺の可能性

 歌手の藤圭子さん(62)が22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿6丁目の路上で倒れているのが見つかった。病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。警視庁は、現場の状況から、現場前のマンションから飛び降り自殺したとみている。藤さんは、歌手の宇多田ヒカルさんの母親。

 新宿署によると、藤さんは仰向けで倒れ、履いていたとみられるスリッパの片方が近くに落ちていた。知人が住むマンション13階の部屋のベランダに、もう片方が落ちていたという。着衣に乱れはなかった。遺書は見つかっていない。

 藤さんは、3月に病死し今月23日に都内で偲ぶ会が予定されている作詞家の石坂まさをさんに見いだされた。1969年に「新宿の女」でデビューし、翌70年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。この年に日本歌謡大賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも出場した。》

 テレビ局はどこも高層ビルが立ち並ぶ西新宿の現場からの生中継だ。ファンも訪れて手を合わせている。藤圭子といえば、若い人には「宇多田ヒカルの母親」というイメージだが、やはり中高年にとっては一世を風靡した大スターの印象が強い。

「藤圭子のこととなると、ちょっと客観的にって訳にはいかないかもしれない。私、惚れてんだ。惚れるとベッタリの性なんだ」――かつて作家でタレントの中山千夏 さん(74 )はそう告白していたが、あの騒ぎはまさに、藤圭子だからこそ起きたのではないか。

 それにしても、飛び降り自殺する直前、彼女の目に見えたものは何だったのか。ちょうど朝日が差し込む時間だったから、ベランダに立ったとき、キラキラ光る太陽の光を浴びたかもしれない。その瞬間、自殺を思いとどまることはなかったのか。投身自殺は飛び降りている最中に気圧の急激な変化で意識を失うというが、本当なのだろうか。地上に激しく衝突したとき、意識はあったのだろうか。

 あれこれ考えてしまい混乱してしまうが、そもそもなぜ死を選んだのかという理由を私は知りたかった。遺書はないので詳しいことは分からないし、勝手な判断もできないが、彼女が心の闇を抱えていたのは確かだろう。

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