【藤圭子】突然の死から10年 「暗いさみしいうたが好きです」デビュー当時、記者にこう答えた彼女の心の闇に迫る

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 様々なジャンルの人たちが人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。第2回で取り上げるのは、今から10年前、衝撃の自殺を遂げた歌手・藤圭子(1951~2013)。かつて取材に「暗い淋しい歌が好きです」と語り、人の悲しみや孤独に寄り添った歌でヒットを重ねた彼女の人生とは――日本で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一さんが迫ります。

「怨歌」の歌い手

 子どものころ、あの歌声を聴いて、「なんて悲しいんだろう」と思った。「きっと悲しい人生を送ってきたにちがいない」と勝手に想像をたくましくもした。

「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)などの大ヒット曲を日本の歌謡史に残し、流星のごとく光って消えた歌手・藤圭子さんである。人の世の悲しみと孤独に寄り添った歌を作家の五木寛之さんは「怨歌(えんか)」と呼んだ。

 当時、私は小学生。きらびやかなアイドルとはかけ離れた藤さんの「♪十五、十六、十七と私の人生暗かった~」という歌を聴いていると、「自分もあと何年か経てば暗い人生の送るのだろうあ~」などと気が滅入ったりした。

 70年代といえばオカルトブーム。「1999年7の月に人類は滅亡する」と予言した「ノストラダムスの大予言」が大ヒットした時代でもあった。公害も大きな問題となり、世の中全体がどんよりと暗い時代でもあった。

 さて、藤さんである。あの衝撃の死から今年で10年。今回はドロリと湿った情念の泥沼から生まれたあの歌声が、どのような宿命を背負っていたのかに追ってみたい。

 まずは2013年8月22日、東京・新宿の高層マンションから藤さんが飛び降り自殺をした「あの日」に戻る。

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