現場では鈴木亮平よりもモテモテ…安藤政信がいつの間にかホリプロ入りしていた どうやって口説いたのか
俳優の安藤政信(48)が近ごろ一所懸命に働いているという。芸能事務所を渡り歩き、3年ほど芸能活動を休止したこともあるが、ようやく腰を落ち着けたようだ。
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来年、Netflixでの公開を控える映画「シティーハンター」が完成し、その打ち上げの席には主演の鈴木亮平(40)のほか安藤の姿も見られたという。民放プロデューサーが話す。
「女優陣に囲まれた安藤は、主演の鈴木を差し置いて、相変わらずモテモテだったそうです。最近はすっかり使いやすい俳優になりました……」
安藤といえば、1996年に北野武監督の映画「キッズ・リターン」でデビューし、新人賞を総なめにしたことで知られる。その後も降旗康男監督・高倉健主演の「鉄道員(ぽっぽや)」(99年)や深作欣二監督「バトル・ロワイアル」(00年)、三池崇史監督「46億年の恋」(06年)、塚本晋也監督「悪夢探偵」(07年)など有名映画監督と組み、本広克行監督「サトラレ」(01年)、中野裕之監督「RED SHADOW 赤影」(同前)では主演も務めた。前途洋々の俳優人生とみられたが――。
「それでもバリバリ仕事をするというタイプではなかったんです。年に1本か2本の映画に出れば十分という人で、ギャラをもらっては海外に行ったりしていたそうです。お金がなくなると仕事を入れるという感じでした」
テレビドラマに至っては、2000年3月に放送された「学校の怪談 春の呪いスペシャル」(フジテレビ/関西テレビ制作)を最後に、12年間も出演しなかった。「3年ほど芸能活動を休止したことがある」とバラエティ番組で語ったこともある。
家族ができて変わった
「所属事務所を転々としましたし、フリーの俳優として活動していた時期もありました。山下智久が主演のドラマ『コード・ブルー―ドクターヘリ緊急救命―3rd season』(フジ・17年)に出演していた頃はフリーだったので、自分でテレビ局に請求書を送っていたそうです」
それでも仕事が来るのだから、業界での評価は高かったということらしい。
「見た目はいいし、演技力も申し分ありません。アクションだってできますから、引く手あまたです。もっとも、さすがに1人でやっていくには限界を感じたようで、昨年、ホリプロに所属しました」
いつの間にかホリプロ入りしていたとは。
「最近はインタビューに応じることも増えて、自らの過去を語るようになりましたが、結婚して子供ができてから考え方が変わったようです」
ホリプロのWEBマガジン「リーズンルッカ」のインタビューで安藤はこう語っている。
《当時はボヘミアン的な生き方に憧れていたのか、一度ギュッと仕事をしたら、流浪のように過ごすというのが、自分の中でカッコいいと思っていたんですよね。そのスタイルを続けようと思えば続けられたとも思うんですが、家族ができたことでマインドも一気に変わっていって》
やはり家族のためだったか。
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