天皇陛下から「少し飲みますか?」と声をかけてもらい… 元宮内庁職員が明かす「一介の職員にもお優しい」素顔

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 ご結婚当時、私は宮内庁の報道室でメディア対応にあたっていました。前日の6月8日から庁舎に泊まり込んでいましたが、当日は朝から強い雨。「結婚の儀」や「朝見の儀」は屋内だからいいとして、国民にとってのメインイベントであるパレードがどうなるかが心配でした。晴れの場合はオープンカーですが、雨だと屋根付きのセダンになってしまうからです。

 宮殿の「南車寄」前には職員が整列して待機し、私はその近くで報道陣と一緒でした。雨脚は弱まっており「やんでくれ」と祈っていたところ、ご出発の直前に雨がやみ、オープンカーと決まりました。天候も味方し、“お二人の前途は明るい”と確信したものです。

 しかし、両陛下の来し方は“雨続き”でした。最初の雨は私の記憶ではご結婚からおよそ1年半後の1995年1月です。同月17日に阪神・淡路大震災が発生しましたが、その3日後に皇太子殿下と雅子妃殿下(ともに当時)は中東3カ国ご訪問のために離日されました。中東ご訪問は過去2回、延期されており、政府としては何としても行っていただきたいとのことでしたが、この時“国内が大変なことになっているのに”という批判が両殿下に対しても起きてしまったのです。ご訪問は政府が決めたことであり、両殿下が負うべき責めはないのですが……。

我慢に我慢を重ねた末に…

 お世継ぎに関しても“3年で子どもができなければ厳しい”といった声が上がる中、96年になってもその兆候はありませんでした。99年末には正式発表前にご懐妊が報じられましたが、流産という悲しい結果に。01年には愛子内親王殿下がお生まれになりましたが、女子だったため「次は男子を」との“期待”が寄せられ、こうしたことも04年の「人格否定発言」につながっていったのだと思います。

 私は91年9月、殿下のモロッコ・英国ご訪問に報道担当として同行しました。帰国した夜、東宮仮御所の事務室にふらっと顔を出された殿下と偶然お会いしました。殿下から「山下さん、お疲れさまでした。少し飲みますか?」と声をかけていただき、二人で少し飲みました。私は東宮職勤務ではなかったので翌日以降、殿下にお会いする機会はありません。そのため殿下は気遣ってくださったのでしょうが、一介の職員に対してもこのようにお優しい方です。常に周囲への配慮を欠かさない殿下が、我慢に我慢を重ねた末に爆発されたのが、あのご発言だったと思っています。

 唐突に記者会見で述べられたことには、“もう少しやり方があったはず”といった声もありましたが、妃殿下が適応障害になってしまわれた原因を最もご存知だからこそのご発言だったのでしょう。宮内庁は、時代に応じて変えるべきところは変えていかないと、今後も同じようなことは起こると心配しています。

 19年10月の「即位礼正殿の儀」の当日も、直前に雨がやみ、虹まで出ました。ここ一番では“晴れ”に転じるという両陛下の30年でしたが、これからの令和の御代は“晴れ”が続きますように。

山下晋司 皇室解説者(元宮内庁職員)

週刊新潮 2023年6月15日号掲載

特集「“激動の”連続 『天皇皇后』 苦難を乗り越えた『ご成婚30周年』私はこう見た」より

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