元広島エース、北別府学さんが死去 20世紀最後の「200勝投手」が残した“神対応”エピソード

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ナイン一人ひとりに「ありがとう」

 その後、90年に右肘を痛めた北別府さんは車のハンドルも握れず、歯も磨けないほどの重症に陥り、「野球を辞めようか」と思いつめたという。

 だが、「不動心」を座右の銘に見事復活をはたし、91年に11勝4敗で通算3度目の最高勝率のタイトルを獲得、チームの5年ぶりVに貢献すると、翌92年も7月8日のヤクルト戦でハーラートップタイの9勝目を挙げ、通算200勝にリーチをかけた。

 そして、7月16日の中日戦、北別府さんは8回まで1失点に抑え、5対1とリードして降板。ベンチに戻ってくるなり、ナイン一人ひとりに「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。

 さらに、守護神・大野豊が最終回を無失点に抑え、200勝が確定すると、「最後は大野さんが抑えてくれた。一人でできた記録じゃない。リリーフ陣にも迷惑かけた。だから、みんなで勝ち取った200勝だ。監督ほか、チームメイトみんなに感謝しています」と気配りの人らしい言葉を口にしている。

 また、通算203勝目がかかっていた同年9月13日の巨人戦では、1対0とリードした5回、川相昌弘の中前への打球を前田智徳がダイレクト捕球に失敗して同点のランニングホームランになったことから、ほぼ手中にしていた勝利投手の権利が消えてしまう。

 前田は1対1の8回に決勝2ランを放ち、チームに勝利をもたらしたが、すでに北別府さんが降板したあとだったので、「最後にホームランを打ったところで、自分のミスは消えない」とヒーローインタビューを拒否した。

 そんな前田を、北別府さんは一言も責めることなく、「200勝のうち、どれだけ野手が打ってくれて守ってくれて勝てたことか」と“神対応”を見せた。

最高の“引退試合”

 94年の現役引退に際しても、北別府さんらしいエピソードが残っている。シーズン中の9月15日に引退を発表した北別府さんは、地元最終戦となる同20日の巨人戦で“花道登板”が予定されていた。

 だが、中日とともに三つ巴のV争いを演じていた両チームは前半から激しい点の取り合いを演じ、お互い1歩も譲らない。

 そのとき、北別府さんはブルペンで現役最後の登板の準備をしていたが、「(引退を決め)気持ちの切れた自分が登板すべきではない」と意を決すると、一緒に投げていた大野に「オレは行かんぞ!」と宣言した。

 その後、試合は広島が8回に8対7と逆転。最終回を「ペー(愛称)の分と合わせて2倍の力が出た」という大野が抑え、逆転Vに望みをつなぐ1勝を挙げた。

 試合後、引退セレモニーでグラウンドに立った北別府さんは「入団以来カープひと筋でやってこれたことを幸せに思います」とファンに挨拶したあと、ナイン全員の手で宙に舞った。引退登板は幻と消えたが、一生思い出に残る最高の引退試合になった。

 これらの北別府さんの珠玉のエピソードは、“20世紀最後の200勝投手”の称号とともに、これからも長く語り継がれていくことだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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