【広末不倫】「佐藤健さんのマンションは200室もある」9年前、事務所社長の対応で火ダネ あの時もっと厳しくしていれば、という指摘が

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とにかく守る

 1995年にデビューした広末は芸映プロダクションに所属。そこでマネジャーを務めていたのが井上氏だった。

「98年ごろ、井上氏は広末と共にフラームを設立しました。前年には歌手デビューと共に紅白歌合戦初出場、99年には映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉健と共演など、90年代後半の広末の大ブレークを一緒に伴走したのが井上社長です。事務所の顔であることはもちろん、稼ぎ頭でもあり、大功労者。甘やかすというか、特別扱いするのは当然だったのかもしれません」(前出・記者)

 だが、多忙なスケジュールをこなす中で、広末の精神状態が少しずつおかしくなり始めていたのも、事務所設立の時期と重なっていたという。

「広末はもともと気の強い、自己顕示欲が強い元気な女の子でした。それに加え、圧倒的な透明感と可愛さ、はじけるような笑顔がトレードマークでした。オーディション合格、CM出演、女優&歌手デビューと、あっという間にスター街道に躍り出ましたが、彼女のジレンマは、常に清純派キャラを求められたことでした」(ワイドショースタッフ)

 そのストレスからか、モデルや俳優たちと浮名を流し、クラブで夜な夜な遊ぶようになり、撮影現場での常習的な遅刻、リハーサル中に共演者を待たせて自身は携帯で通話する、タクシーで長距離無賃乗車するなどといった問題行動が、相次いで報じられることにつながっていったという。

「そのたびに、関係者に頭を下げて広末を守り抜いたのが井上社長です。看板女優を失えば、事務所の存続も危うくなるという現実的な問題に加え、今では多くの女優を抱える準大手事務所にしてくれた恩義もあったでしょう。それゆえ、14年の佐藤の件も、何が何でも守り抜こうとしたのです」(前出・ベテラン芸能記者)

 だが、この事務所の対応が今回の火種になったのではないか、という見方もあるという。

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