「リトル・マーメイド」が瀕死のディズニーを救った 長編アニメは危機的状況だった

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 実写版映画が話題の「リトル・マーメイド」のアニメ版と原作「人魚姫」との大きな違いについては前回の記事でご紹介した。

 実はこの作品、ディズニーにとっても大きな転換点となった作品であることは意外と知られていない。今日の快進撃のスタート地点ともいえる作品なのだ。

 ディズニーは、悲恋ファンタジーの「人魚姫」をどのようにして大衆受けするアニメに変えたのか。そして制作面で起きていた大変革とは。

(全2回の2回目・以下は有馬哲夫著『ディズニーの魔法』をもとに再構成したものです。)

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陽気になった「人魚姫」

 前回(1回目)の記事では、「リトル・マーメイド」の原作である「人魚姫」のストーリーや世界観をご説明した。人魚姫は王子と結ばれず、「空気の娘たち」というナゾの存在となり、300年かけて「永遠の魂」を得られるように励む、というのが結末である。

 もちろんこんな話をそのままアニメ化しても受けるはずがない。そこでディズニーは「リトル・マーメイド」では大幅な改変を試みた。「リトル・マーメイド」のヒロインであるアリエルは、明るく、屈託のない典型的なアメリカのハイティーンのように描かれている。

「人魚姫」のようにヒエラレルキー、「身分」なんて気にしていない。秩序、掟なんかも一切受け入れない。

 ちなみにアリエルという名前には原作の痕跡がある。「空気の娘たち」が由来なのだ。

「リトル・マーメイド」では「人魚姫」の場合のように、海の上の世界(人間界)が、海の下の世界(人魚の住む世界)より必ずしも優れているわけではない。両方とも美しく豊かな世界だ。

 また「人魚姫」では、人間は寿命が短い代わりに不死の魂を持っているのに対して、人魚は300年の寿命を持つが、死ねば「海の泡」になる存在だった。しかし、「リトル・マーメイド」ではそのような区別はない。

 このあとの「リトル・マーメイド」のハラハラドキドキもありながらも安心して見ていられる展開については割愛しよう。

 誰が見てもハッピーになれる結末は、「人魚姫」とは大きく異なるといっていいだろう。

瀕死の状態だったディズニー映画

 実は「リトル・マーメイド」は、ディズニーが当時、久々に作った童話に基づく長編アニメーションだった。どのくらい久々かというと、ウォルト・ディズニーがこの世を去った翌年の1967年に「ジャングル・ブック」(原作はラドヤード・キプリング)を公開して以来22年ぶりだ。ヒロインが主人公の古典童話を原作にしたものだと「眠れる森の美女」以来30年目ということになる。

 ウォルトが死んでからのディズニーは、長いあいだ低迷を続けた。この間、長編アニメーションを作らなかったわけではなかったが、ヒットしなかった。キャラクターとしては大人気だが「くまのプーさん」の映画を観た人はそう多くはないはずだ。

 それ以外のこの時期の長編アニメーションはさらにマイナーだ。「ビアンカの大冒険」「きつねと猟犬」「おしゃれキャット」「コルドロン」という作品名にピンとくる人はほとんどいないのではないか。

 当時、アメリカの映画評論家はディズニーが死んだといわず、長編アニメーションが死滅したといっている。1970年代後半にはジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグのSF映画が一世を風靡したため、観客層が重なるアニメーション映画は瀕死の状態に陥っていた。

 1984年などはディズニーが乗っ取り屋たちに狙われて、解体寸前だった。このときにパラマウント映画からやってきて経営を立て直したのが、その後ディズニー会長となったマイケル・アイズナーだった。

 彼はパラマウント映画から引き連れてきたジェフリー・カッツェンバーグとともに、伝統の火がすっかり消えていたディズニー・アニメーションを復活させた。その第1弾が、いかにもディズニーらしい、古典童話に基づいた「リトル・マーメイド」だったのである。

 この映画は、上映の初年度で8400万ドルの興行成績を上げ、大ヒット作となる。

 この作品はディズニーの歴史全体でも、特別の意義を持つ作品だ。これはディズニーの本領である長編アニメーションを復活させたと同時に、現体制がこの分野で新しいスタートを切ったという意味でも記念碑的作品となったのである。

よみがえった「ディズニーらしさ」

 題材こそディズニーが伝統的に得意としていた古典童話だったが、実は制作法では大きな転換がなされていた。それまでのストーリーボードを使う制作から、シナリオ中心の制作に変えられたのだ。ストーリーボードとは、セリフだけでなく絵もついたもので、簡単にいえば映像作品の設計図のようなものだ。ウォルトはこの方法を1930年代、短編アニメーションを制作しているときに編み出した。この方法は、その後あらゆるアニメーション・スタジオで採用される。

 しかし、この方法はもともと短編アニメーションを作るため考え出されたもので、これを中心にした制作方法は長編に向いているとはいえなかった。アクションなど見せ場を中心に進められるために、ストーリーにまとまりがなくなる傾向があったようだ。チャップリンの映画もこういう作り方だったという。厳密なシナリオがなく、現場で撮りながらその場で筋を組み立てていく。

 この方法ではやたらと時間がかかり、完成時期のめども立ちにくい。これでは現代の映画ビジネスにはなじまない。

 アイズナーはこれを実写映画と同様のシナリオ中心主義に改めた。これによってハイペースで長編アニメーションを制作することが可能になったのである。

 ただし、彼らはこの変更を観客には悟らせないようにした。いかにもディズニーらしい長編アニメーションを作り、ブランドイメージを引き継ぐことに成功したのである。

 これは当時のディズニーには極めて困難なことだった。ウォルト以来のベテランスタッフがすっかりいなくなり、映画どころか30分のテレビ・アニメーションを作るのにも日本の東北新社に外注しなければならないほど制作力が衰えていたからである。

 アニメーションのスタッフを育てるには、長い時間を必要とする。しかも、それは時間さえかければできる簡単なことではない。

 だから新しいアイズナー体制になってから、「リトル・マーメイド」を公開するまでには5年もの歳月を要している。この間にアイズナーとカッツェンバーグは、スタッフをかき集め、養成しただけでなく、彼らにディズニーの伝統をきちんと引き継がせることに成功した。

 だからこそ観客は、ウォルトの時と同じ「ディズニーらしさ」をこの作品に感じて、楽しむことができたのである。

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 第1回【話題の「リトル・マーメイド」は原作とこんなに違う ディズニーがかけた魔法とは】からのつづき

※有馬哲夫『ディズニーの魔法』から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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